アルクカメラ~木のある風景
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近隣の銀行へ行く途中に大きな「イブキ」がある。
初めてこの木を見た際「安藤広重・東海道五十三次」の浮世絵を連想した。
(野暮になるので広重の作品は並べない)

沿道から見下ろすように写真を撮っていると。
木の下で庭の手入れをしていた麦わら帽子の老人から声をかけられる。
「こっちへきて撮っちゃったらええ」

その言葉に誘われ沿道から少し低くなった敷地へ下る。
敷地はさほど広くない。母屋傍に藤棚を誂えた庭園がある。
老人のそばに立つと思わず声が出た。

「明るいですね!」

このツイと出た言葉は日の光を指したものではない。
心と肌で感じる「磁場」のことだ。
身体が廻りの空気を全て吸い込むように仰向けとなる。

言葉にならない心地よさが体を覆う。

樹齢を尋ねれば「さぁ。100年ぐらいかな」とのことで。
毎年1回自ら手入れされるとか。
「だんだん背が高向なるし危ないけどねぇ」と苦笑される。

大きい木は見応えがある。
何より人格のようなものを覚えるから不思議。
歳月を経るということは。

神が宿っていく過程なのかもしれない。






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こんなカッコになっちゃうと、イブキ感がないなぁ。
私にとっては、イブキと言えばカイヅカイブキしか思いつかず、メデューサの髪の毛というか炎と言うか怒髪天と言うか・・・あれはあのまま剪定しないのが流儀なんですかね?
こんな風に松みたいに剪定しちゃうと、命のイブキを感じないからつまんないですよw
神を宿らせるなら、怒髪天のままをおススメするわ♪
大きな木は良いですな
古い木はもう存在そのものが偉大であります。私の歳はおろか、世紀をまたぎ、時代をまたぎ、遥か昔からそこに存在しながら、しかし周りなど気にする事も無く超然と佇む姿は、まさに神様の宿る場所なのであります。無闇にきったらアカンのであります。大切にしよう。
とんがりねずみさん^^
コメントありがとうございます。

そうそう。怒髪天のimageがありますよね。
そのほうがイブキらしいです。
故・牛島憲之の描くイブキは自分の中のimageにぴったりで。
炎のようにクネクネした描き方で素晴らしい。

この時ね。イブキだとわからなかったw
東海道五十三次の浮世絵をすぐに思い出してね。
近くにこんな姿をした木はないんですよ。
(松は目立ったのがない。病気が付きやすいから?)

で。降り立った時に。うわ~明るいって感じたわけです。
この時の印象が素晴らしく良くて。
むかしの江戸時代とかこんな空気感があったのかなぁと^^)/
miss.key さん^^
コメントありがとうございます。

> 古い木はもう存在そのものが偉大であります。私の歳はおろか、世紀をまたぎ、時代をまたぎ、遥か昔からそこに存在しながら、しかし周りなど気にする事も無く超然と佇む姿は、まさに神様の宿る場所なのであります。無闇にきったらアカンのであります。大切にしよう。

大きな木と言えば近隣に巨大な楠木がありましてね。
これが斜面にガッチリしがみつくように生えているんですよ。
表面を覆う根の太さ力強さに圧倒されます。

細い道の横に生えていますから。
一般には知られていません。それでいいんです。
やたら有名になると困るので。
そっと静かに生えていて欲しいです^^)/
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