びわ雑炊・補~画材店主・F氏の想い出
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画材店Fに勤務することになったのは全くの偶然だった。
たまたま入り口に「店員募集」の張り紙があり。
それを見た自分が直ぐに「入っていいですか?」
と画材店主F氏に尋ね。「ああ。いいよ」との返事をもらった。
(面接もなくまったくいい加減な採用w)

それまである看板屋(社長は広告美術と言っていた)に勤めていたものの。
自分で言うのもなんだが。まったく使い物にならなかった。
絵心があるから大丈夫だと思っていたら。
文字書き(レタリング)と絵心とは余り関係がなかった。
少なくとも自分はそうだった。

それに細かい所に気が向かないから。
やることなすこと失敗だらけで。
「こりゃ間違った所に入ったな」とずっと思っていた。

そんな頃に画材店Fの店員募集の張り紙が目に入ったわけだ。

画材店の仕事は天職というか。実に楽しかった。
額縁作りも自分にあっていたし。画材販売も好きで。
このくらい自分に合っている仕事はないと思った。

そういう気持ちになれたのもF氏の存在があったからだ。
F氏は細かいことを気にしない豪放磊落な性格で。
自分のする失敗も咎めることなく。いつも暖かい目で見てくれた。

F氏は元々水産大学の出身だったが。縁があって。
画材店の婿養子となり後を継いだ人だ。
「婿養子はいいぞ。家付きカカア付きだ」なんて笑っていた。

酒が好きで画材店の全国フェアの際には。
いつも陽気に酒を飲み。
大きな声で知り合いを冷やかしつつ談笑していた。

飽きっぽい自分が長年勤めることができたのも。
F氏がいたからこそだ。そういう意味で実に感謝しているし。
自分の人生における恩人の一人であると思っている。

その後。ある理由があって退職を願い出た際。
「お。そうか」と何の理由も聞かず。また引き止めもせず。
こちらがびっくりするほど。あっさりと受け入れてくれた。

あとである人から「アレは絵描きじゃから」と言っていたという。
F氏は知っていたのだ。自分がフツウの画材店の店員ではなく。
「絵描き」がたまたま画材店の仕事をしていると。

だからF氏すれば自分が「絵描き」になるために。
退職を決意したのだと思ったに違いない。
それでいとも簡単に笑顔で了解してくれたのだ。
(もっとも当人は絵描きでないと承知していたのだがw)

F氏は仕事柄「絵描き」を数多く見てきている。
そんなF氏が「アレは絵描きじゃから」と認めてくれたのは。
勘違いであるにしても嬉しいことであった。

仕事を辞め。ずいぶん時が過ぎたある日のこと。
通院している大学病院で声をかけられた。「お。Wくんじゃないか」
にこにこ笑ったF氏がそこに立っていた。

「ガンになってなぁ。入院しちょった」と苦笑しながら。
大腸ガンで入院していたことを他人事のように話し。
抗がん剤で丸坊主になった頭をなでた。

その姿を見て。順調に回復されているんだなと思い。
こちらも「あ。自分もこうなりましたよ」と帽子をとり禿げ頭を見せた。
「帽子を被るといいですよ」なんて軽口を叩いたのも。
なるべく深刻な話にならないようにするためだった。

F氏が亡くなったと報告を受けたのが7月頃。
じっとり汗ばむ季節だった。その話を聞いた瞬間。
病院でのF氏の姿が浮かんだ。
死という現実から縁遠い人のように思っていた。
そのぐらい若々しい印象しかなかった。

葬儀が行われた日。

最後のお別れということで。棺に入ったF氏の顔を見た。
まるでミイラになったような顔。
その顔を見た時。ああ。見るんじゃなかったと悔やんだ。

自分にすればF氏はいつも若々しく。
陽気で冗談好きの顔しか頭になかったからで。
ギャップが激しすぎ。気が重くなったのだ。

息子さんが祭壇に立ちこう言われていた。

「父は仕事一途で。ガンになっても病院を抜け出して。
店に来て仕事をしていました(病院の近くに店がある)。
それで楽しいのかと聞いたら。仕事が趣味みたいなもんじゃから。
と言って笑っていました。父は死ぬまで現役でしたから。
とても幸せな人生だったと思います」





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ひとつの秀逸な短編を読んだような、じんわりと胸に来るお話でした。
そのF氏は、きっと幸せだったのでしょうね。
F氏だったから幸せなのであって、他の人が同じ境遇だったら、不平不満の日々だったのかも。
人の幸せって、やはりその人次第なんだなって、しみじみ思いました。
良い奴は死んだ奴だ by豚
 良い人が亡くなって行きます。人間寿命が有るからしょうがないんだけど、やはり寂しいですね。え゛、誰でも死ぬ?良い人悪い人に関り無い?そうですが、どうでも良い人はどうなってもやはりどうでも良い訳で、死んだからといって心に残る訳じゃない。死ぬんじゃなくて消えるんです。つまり、心に残ると言う事は良い人だったんですよ。変な言い方ですかね。気分を悪くされたらごめんなさい。
limeさん^^
コメントありがとうございます。

F氏については。
以前から書かなければいけないなと。
思っていたんです。

なにせ20代・30代・40代と。
人生の大半を仕事を通して。
一緒に過ごしてきたわけですから。

「自分史の中の重要な人物の一人」ですもんね。

誰でも大なかれ少なかれ。
そういった人物っていると思うんですよ。
limeさんにもいらっしゃるでしょう?

F氏と画材店との出会いがなかったら。
ずいぶんつまらない人生になっていたでしょう。
出会ったお陰でマンガから絵に目覚めたのだし。
美術のことを考えるようになったのですから。

必要な時期に必要な場所に居られたわけで。
これってとても幸せな時間だったと思うんですね。
人生の黄金時代だったような気がします^^)/
miss.keyさん^^
コメントありがとうございます。

miss.keyさんの考え。
よくわかります。
イイ人じゃなきゃ誰が覚えているもんか!w

ほんとそうなんですよ。
結局。いい思い出の残っている人が。
自分にとってイイ人なんです。

先日。昔からの知り合いが亡くなったのだけれど。
葬儀はご無礼したんですよ。
葬儀に出ると嫌でも現実と向き合うわけじゃないですか?

最後に会った時の笑顔が忘れられなくて。
それを打ち消したくなくて。
そのままにして置きたかったんですよね。
(自己都合・我が儘と言えばそうなんだけど^^;)

彼はイイ人過ぎました。
切ないお話ですね。
そうして一人の人生の歴史が出来るわけですね。
人からは忘れられてしまいますが、
本人は精一杯生きて来たんですよね。
太巻きおばば さま^^
コメントありがとうございます。

切ない話~
たぶん自分の感傷的な部分が。
文章に入り過ぎたのかもしれませんね。
実際は精一杯生きられたので。
本人に悔いはなかったように思います。

実のところ。自分が辞めないで。
お店にいたとすると定年は60歳なので。
F氏の死と重なってしまい。
お店は存続の危機だったと思うのです。

自分の後輩が今でも働いてくれているので。
何とか切り盛りできています。天の配材というか。
上手く引き継ぎができたと思います^^)/
記事に感謝であります
お早うございます
オラが小学校の時に絵を習っていた先生は
松井彰という人でした
お金がある間は飲んだくれていて
お金が無くなりそうになりますと
インドへ出かけ下絵を描いてきて
仕上げた絵画で個展をひらき絵を売りました

オラ風景画が好きで
長~い下り坂があり路の両側には大きな樹があり
坂の先は青い海ですこれをよく書きました
仕上げますと先生は
樹木の中ほどに小さく『真っ赤』をいれました
青と緑と白だけではインパクトが無いので
赤を挿したのです

warvinoさんのお蔭で先生に会えました
白い山羊髭の爺いでした
あはは
生涯現役ってのは、幸せに生きる秘訣というか、大前提なのかもしれませんね~。
今、デイサービスに追いやられている老人は、家で役割を与えられず、危ないとか言われてできることも取り上げられ、暇を持て余しすぎて心身の機能が低下していくんじゃないかと思うんですけどね・・・農家のご老体方は、みんな少々痛い所があろうが体が曲がっていようが、がんばってるから頭もしっかりしてる。
向かいの小さな田んぼ兼畑のばあちゃんは、80過ぎて満身創痍だけど頑張ってるからカッコいい(けど、捕まると世間話から解放してもらえないw)

・・・じゃあ、私はヤバいじゃないか。
主婦の本分はほとんど放棄し、女としての身だしなみもかなり放棄し・・・何のために生きてんだかよくわからない今日この頃。
くりがいなくなるかも・・と思い始めた頃、本気で「手頃で侵入可能な」高い建物を探しました、が見つかりませんでw

傍から見れば看板屋、でも経営側の意識は広告美術。
そんな会社が近所にあります(笑)
waravinoさんも、昔の映画の看板とか描いていたんですか?(あ、そんな昔のヒトじゃないか・笑)
芸は身を助ける。あー、私はただの無芸少食ww
はしびろこう・ウナ さん^^
コメントありがとうございます。

人生には忘れられない人・影響を受けた人など。
様々な出会いがありますね。
自分などもそういった人々が少なからずおります。

絵のことで思い出したんですが。
影響を受けていた某有名画家に。
「あんたの絵はいい」と言わせたいと念願していたら。
直接ではなく人伝えで。
ホントにそう言ってもらえたことがあります。

これは嬉しかったですね。
夢が叶ったというか。
強い想いは実現するものだと改めて思いました^^)/
とんがりねずみさん^^
コメントありがとうございます。

生涯現役~これはなかなか出来ることじゃないですね。
(自分は完全に放棄というか脱落してますw)
人徳や努力・運も重なって出来ることなのでしょう。

ディサービスの老人~そうそう。仰る通りです。
でもまぁ。認知症を患った場合。
家族にとっては負担となりますんで。
それを補う意味では致し方ないかなとは思います。

ディサービスに行かないで済む老人は。
天命というか良い人生を歩んでおられますね。
自分もディサービスのお世話にならないよう?
様々な「精神活動」をしたいと思っております。
ま。これも運命でしょうけどね^^;)/
(^^)
今日は雨が降っています。
そんな日に読みました。

私も記憶の中に一人、短期間でしたがこの人に出会えてよかったと思える人がいます。
長らくじっくりと思いだすこともなかったのですが、しっとりと思いだしました。

自分で選んだ生き方をぶれずに最後まで貫いた。
そして私のことをとてもかわいがってくれました。

今私、ブレブレでして(笑)
あぁちゃんとしなきゃと思いつつ、ふんぎれない自分、ダメダメです...(^^;
kanaさん^^
コメントありがとうございます。

お久し振りです。
お読みくださり感謝です。

誰でもF氏のような存はいると思います。
人生の恩人ですね。

自分には口癖があります。
「ごめんなさいね」というのがそれで。
これはF氏が使っていた言葉です。

時々。今でも何気に使っていまして。
使った時には必ずF氏のことを思い出します。

ブレブレ~ブレているうちに。
また元に戻るのとちゃいますか?w
まぁ。のんびりやりましょう!^^)/
こんにちは。
非常に心打たれる話です。
とともに羨ましくもあります。
恩人と言える方に巡り合い、
また心から認めてくた方がいるというのは、
人生にとって幸せなこと限りないと思います。

私は、なあなあの仕事となあなあの大人ばかりでしたから、
これというもの何も残らないまま、
逝ってしまうようです(-_-;)

あ、孫を残せたか(^^ゞ
NANTEI さん^^
コメントありがとうございます。

恩人と呼べる人はわずかしかおりません。
F氏はその中でも最たる人でした。
もっと若い時に入店しておれば。
良い意味での人格形成に影響があったかと思います。

結局45歳2月に退職を決意するのですが。
それは2月の節分の日でした。
節分は人生の節目を決めるにふさわしい日だと。
ある人から聞いております。

今も時折。お店に行きますが。後輩の頑張っている姿を見るつれ。
(現在は彼の奥さんもパートで働いています^^)
あの時に決意したのは間違いじゃなかったと深く思います。

お孫さんを残した?
やっぱりお孫さんは何をさておき。
カワイイものなんですねw^^)/
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