絵の話~明治の青春・青木繁
青木繁は明治期を代表する画家の一人だ。
19世紀イギリス絵画(ラファエル前派)などの影響を受けつつ。
日本神話を題材にしたロマン主義的傾向の強い作品を残した。

代表作は「海の幸」及び「わだつみのいろこの宮」
両作品はかつて久留米市・石橋美術館で見る機会があった。
青木繁の持つ豊かな想像力と感受性が見事に結実しており。
明治期の洋画を語る上で欠かせない存在だ。

まず「海の幸」(1904年・明治37年・美術学校卒業後)を取り上げてみよう。
海の幸


この作品で特徴的なのは。画面の両サイドを簡略化し。
見る側の視線を中央に集めていることだ。
(簡略化=未完という説もあるが。作品としては完成している)

その中央に「青木繁」と思われる横顔の人物と。
後ろに青木の愛人「福田タネ」らしき人物が描かれている。
両人とも顔を白っぽく塗られている。
特にタネの鑑賞する側を見つめるような瞳が強く印象に残る。

青木の親友・坂本繁二郎によれば。
千葉県・房総半島の海へ遊びに行ったことがヒントになっているらしく。
当地の風情が彼の鋭い感受性に大いに刺激を与えたのだと思われる。
若い時期の感受性は時として巨大な爆発力を産むものだ。
「海の幸」はそんな若さ=原初的なEnergyに満ちている作品だ。

次に「わだつみのいろこの宮」(1907年・明治40年)
わだつみのいろこの宮


「海の幸」が荒々しい若さから産まれたものだとすれば。
「わだつみのいろこの宮」はそこから一歩先に進んだ作品だろう。
ある種の神秘性が全体に漂よっており。荘厳なImageを演出している。

小さな画像では十分に伝わらず。分かりづらく申訳ないのだが。
実物を見ると左側に立つ女官の(神を見上げる)横顔が大変に魅力的で。
「作品を永遠にしている大事な要素ではないか?」と感じている。
(あくまで個人的な見解です。好きなタイプの女性なのかもw)

彼にとっては。この作品を描いた時期が最高潮だったようで。
その後は生活の苦しさもあり。急速に画力の衰えを見せる。
自画像や福田タネ・子息(福田蘭童・作曲家)を描いた佳品もあるが。
何せ肺結核で逝った28年の短い生涯だ。傑作と呼べるレベルの作品は思うほど多くなく。
晩年の作品は画力の衰えが垣間見える。健康状態と精神状態の悪化が原因だろう。

もし長生きし描き続けていたら(新しい境地を開けたとしたら)
どのような画家になっていただろう?と考えさせるが。
彼はやはり早世の画家以外には成り得なかったのかもしれない。

絵画・詩(短歌)の才はあるが。生活を支える基盤を持たず。
そのため故郷の家族と不和になり。やがて家族から離れ。
絵を描きながら九州各地を放浪。その果てに病没と。まさに尻すぼみの人生。
人生の最高潮が若い時期に訪れた典型とでもいうような生涯だ。

しかし彼はそうとしか生きられなかった。他に生きようがなかったのだ。

近代日本の夜明け=明治という時代の中で生き。
駆け足で走り去った青木繁。
彼の青春・人生のすべては絵画に捧げられた。


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青木繁~福岡県久留米市生まれ・明治15年~明治44年。享年28歳。
東京美術学校・西洋画科選科・黒田清輝に師事。
「海の幸」「わだつみのいろこの宮」は重要文化財指定。
両作品は久留米市・石橋美術館所蔵となっている。


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滅びの美学~老いて輝く・真田幸村
真田幸村
真田幸村


有名な真田十勇士。
猿飛佐助・霧隠才蔵・根津甚八・三好清海などなど。
(って。他はよく知らないんだけど^^;)

猿飛佐助を知ったのは。東映のアニメ映画が最初だ。
当時の東映アニメは現在の漫画雑誌のキャラクターを。
メインにしたアニメではなく。

「白蛇伝」「安寿と厨子王」「西遊記」など。
過去の有名な書物の中から作品化されたものが主で。
おそらくDisneyを参考にして作られていたのだろうが。
それはそれは高品質のアニメだった。

そんな中に「猿飛佐助」があり忍術使いになるために。
苦行・修行するといったことがメインの映画だった(気がする^^;
仙人みたいなお爺さん(白雲斎?)が出てきて。
佐助に忍術を教えるのだが。
なんだか忍者と仙人を誤解しているようだった(気がする^^;

さて。そんな猿飛佐助が仕えたのが真田幸村。
彼は晩年。豊臣秀吉の築いた大阪城に篭り。
徳川家康軍に対し獅子奮迅の戦いをした人物。

実名は真田信繁と言うらしいが。
ここでは幸村のほうが語感がいいので。
「真田幸村」ということにするw

そんな真田幸村に関心を持ったのは。
小説家・海音寺潮五郎氏の。
「武将列伝」という評論集を読んでからだ。

その中の真田幸村は。えらく恰好悪い。
彼は大阪城に入城するまで。紀伊国・九度山で。
長い蟄居生活を送っていた。
(関が原の戦いで。父・昌幸とともに西軍に属し敗北。
東軍についていた実兄の真田信之が。
徳川家康に取り成しを願い。死罪だけは免れていた)

歯が抜け。頭も薄くなり。腰の曲がった自分を。
情けなく思う手紙が紹介されており。
家康をあわやと言う所まで追い詰めた人物とは。
到底思えないほどだ。

当時は老いるのも早かっただろうから。
それも仕方がないが。老獪な武将だった父の昌幸も。
九度山で亡くなっているし。希望のない生活をしておれば。
尚更。老いるのも早かったのだろう。

夢・希望・感動。

作家の瀬戸内寂聴さんが80歳を過ぎて。
何事にも感動がなくなってしまい。
これは困ったことになったというので。

何か新しいことを始めようとして。
ケータイ小説を書いたそうな。
それも内緒で秘密でやろうとしたそうな。

で。初めてのことで。それを書くのは。
大変な作業だったけれど。
若い人たちからの反響がすごかったらしい。

しかも瀬戸内寂聴と名乗らず。
「パープル」という名前を使っていたから。
「あなたは文章が上手ですね!」なんて。
有名作家の寂聴さんにすれば新鮮なコメントがもらえる。
それがすごく嬉しく楽しかったらしい。

すると。どういうわけか肌艶がよくなったとか?

「ワクワク・ドキドキ感」
何かの刺激・気持ちの張りがあれば。
人は老いても活性化するものなのだ。

それは徳川家康軍と戦うため。
大阪城へ赴いた真田幸村も。
同様だったのではないだろうか?

人知れず死んで行く身であったのが。
大阪城という天下第一の名城で武将として戦が出来る。
ましてや相手はあの徳川家康。
(過去に城攻めに会い父とともに戦い勝利している)

勝つにせよ負けるにせよ。これほどの相手はいない。
幸村にとって体内の細胞が。
「超活性化」する程の出来事だったはず。

これこそまさに僥倖。

幸村は冬の陣・夏の陣と二度の戦いで。
思う存分働き。結果。夏の陣において討死する。
(因みに彼の息子は秀頼とともに自刃している)

幸村にすれば花のある舞台を与えられ。
彼の人生において最も輝かしい時と場所を図らずも。
手にすることができたのだから。
心底満足して喜んで死んでいったのではないか?

負け戦だから悔しいに違いないが。
それでも幸村にとっては勝ち戦に等しかったはずだ。
万感の想いで討ち死にしただろうと思う。

余談ながら最後の最後は。
「曲がった背筋もピンとしていた」かもしれない。
などと。在らぬ想像をしてしまうのだったw

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この記事は2010年に掲載しており。
多少の手を加え再掲載したものです。
現在NHK大河ドラマ「真田丸」が放映されていることもあり。
掲載してみようと考えた次第です。