アルクカメラ~雲のある風景
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小さな頃。
雲は煙突から吐き出された煙からできていると。
本気で思っていました。

工場地帯に住んでいたので。
当時の幼い自分が。そう思い込んでも。
不思議でないぐらいに。

いつも煙突から煙がもうもうと出ていました。

写真を見る限り。
今も煙突は「雲製造機」のように見えます。
灰色の雲と灰色の煙が。

偶然。重なっているだけなんですけどねw



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びわ雑炊・補~画材店主・F氏の想い出
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画材店Fに勤務することになったのは全くの偶然だった。
たまたま入り口に「店員募集」の張り紙があり。
それを見た自分が直ぐに「入っていいですか?」
と画材店主F氏に尋ね。「ああ。いいよ」との返事をもらった。
(面接もなくまったくいい加減な採用w)

それまである看板屋(社長は広告美術と言っていた)に勤めていたものの。
自分で言うのもなんだが。まったく使い物にならなかった。
絵心があるから大丈夫だと思っていたら。
文字書き(レタリング)と絵心とは余り関係がなかった。
少なくとも自分はそうだった。

それに細かい所に気が向かないから。
やることなすこと失敗だらけで。
「こりゃ間違った所に入ったな」とずっと思っていた。

そんな頃に画材店Fの店員募集の張り紙が目に入ったわけだ。

画材店の仕事は天職というか。実に楽しかった。
額縁作りも自分にあっていたし。画材販売も好きで。
このくらい自分に合っている仕事はないと思った。

そういう気持ちになれたのもF氏の存在があったからだ。
F氏は細かいことを気にしない豪放磊落な性格で。
自分のする失敗も咎めることなく。いつも暖かい目で見てくれた。

F氏は元々水産大学の出身だったが。縁があって。
画材店の婿養子となり後を継いだ人だ。
「婿養子はいいぞ。家付きカカア付きだ」なんて笑っていた。

酒が好きで画材店の全国フェアの際には。
いつも陽気に酒を飲み。
大きな声で知り合いを冷やかしつつ談笑していた。

飽きっぽい自分が長年勤めることができたのも。
F氏がいたからこそだ。そういう意味で実に感謝しているし。
自分の人生における恩人の一人であると思っている。

その後。ある理由があって退職を願い出た際。
「お。そうか」と何の理由も聞かず。また引き止めもせず。
こちらがびっくりするほど。あっさりと受け入れてくれた。

あとである人から「アレは絵描きじゃから」と言っていたという。
F氏は知っていたのだ。自分がフツウの画材店の店員ではなく。
「絵描き」がたまたま画材店の仕事をしていると。

だからF氏すれば自分が「絵描き」になるために。
退職を決意したのだと思ったに違いない。
それでいとも簡単に笑顔で了解してくれたのだ。
(もっとも当人は絵描きでないと承知していたのだがw)

F氏は仕事柄「絵描き」を数多く見てきている。
そんなF氏が「アレは絵描きじゃから」と認めてくれたのは。
勘違いであるにしても嬉しいことであった。

仕事を辞め。ずいぶん時が過ぎたある日のこと。
通院している大学病院で声をかけられた。「お。Wくんじゃないか」
にこにこ笑ったF氏がそこに立っていた。

「ガンになってなぁ。入院しちょった」と苦笑しながら。
大腸ガンで入院していたことを他人事のように話し。
抗がん剤で丸坊主になった頭をなでた。

その姿を見て。順調に回復されているんだなと思い。
こちらも「あ。自分もこうなりましたよ」と帽子をとり禿げ頭を見せた。
「帽子を被るといいですよ」なんて軽口を叩いたのも。
なるべく深刻な話にならないようにするためだった。

F氏が亡くなったと報告を受けたのが7月頃。
じっとり汗ばむ季節だった。その話を聞いた瞬間。
病院でのF氏の姿が浮かんだ。
死という現実から縁遠い人のように思っていた。
そのぐらい若々しい印象しかなかった。

葬儀が行われた日。

最後のお別れということで。棺に入ったF氏の顔を見た。
まるでミイラになったような顔。
その顔を見た時。ああ。見るんじゃなかったと悔やんだ。

自分にすればF氏はいつも若々しく。
陽気で冗談好きの顔しか頭になかったからで。
ギャップが激しすぎ。気が重くなったのだ。

息子さんが祭壇に立ちこう言われていた。

「父は仕事一途で。ガンになっても病院を抜け出して。
店に来て仕事をしていました(病院の近くに店がある)。
それで楽しいのかと聞いたら。仕事が趣味みたいなもんじゃから。
と言って笑っていました。父は死ぬまで現役でしたから。
とても幸せな人生だったと思います」