びわ雑炊・補~万華鏡
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画廊喫茶のTさんを知ったのは。
彼女が喫店を経営する前の話で。
かれこれ20年ほど昔のことになる。

亡くなった母上(姑)の。
油絵を家に飾って欲しい。
ということで。
額縁を持ってお伺いしたのが最初の出会いだ。

Tさんの話の前に母上(姑)について話をする。

母上は古い木造アパートで一人暮らしをしておられた。
趣味で油絵を描かれていたから。
画材店の店員であったオレは時折。画材を届けていた。

ある日のこと。
母上がオレを見つけるなり。
こう言われた。

「あの絵は良かったね~。
 下関美術館の館長さんが来て。
 ものすごく褒めてたよ~」

あの絵とは。
オレが市民絵画展に出した作品のことで。
聞いて初めて知ったが。
午前中。下関から美術館の館長が来て。
作品の講評をしたという。

「館長さんが作品の講評をするっていうんで。
 皆がね。ゾロゾロ後を付いて歩いてたの。
 そしたら。館長さんがあんたの作品の前に立ってさ。
 抜群にいい!って言うんだよ。
 あんたもいないし。誰も聞きもしないのに・・」
 
「へ~。そうなんですか^^;」

「金属板を裏から叩いて。
 形を作ってるんだろうって言ってた。
 あの絵は桜を描いちょるんかね?
 ものすごく綺麗じゃった~」

母上は笑顔いっぱいでオレに。
展覧会の様子を伝えてくれた。

褒められたのは嬉しかったが。
館長も母上もオレの絵について。
甚だ勘違いしているのが可笑しかった。

というのも。

その作品は金属板など使っておらず。
桜など描いてはいなかったのだw

金属板と見えたものは。
石粉粘土を固めて色付けをしたものであり。
桜と見えたものは。
4本の黒い腕と紅い魚だったw

とはいえ。
あの作品が生きていたから。
実感があったから。
館長や母上が注目してくれたのだと。
勝手に解釈しているw

さてTさんのこと。

Tさんが10年前に前経営者から。
画廊喫茶を引き継いだのは知っていたが。
オレは喫茶店を利用する習慣がないので。
お会いすることがなかった。

それが半年前。たまたま思い出館に。
縁があって入り。
思い出館が画廊喫茶の近所にあったことから。
話をする機会が増えていった。

母上から。
オレが絵を描いているということを。
聞いておられたようで。
例の作品にまつわる話もご存知だった。

「何か用事があったら。
 最初に声を掛けて。
 出来る事は何でもやってあげるから」

いつも好意的にそう仰ってくださる。
小柄・白髪・理知的な顔は。
どちらかと言えば童顔。笑顔が綺麗だ。

時々。首に紅いスカーフ・紅い鼻緒の。
擦り減った下駄を履き。
大きく見える青い自転車で思い出館の前を通られる。

先日のこと。

オレがコーヒーを飲みながら。
ぼんやりカウンターに座っていると。

「はい。これわたしの!!」

少女のような愛らしさでそう言って。
目の前に細長い箱を置かれた。
ネットで万華鏡を買ったと言われる。

万華鏡は長さ30cm・T字型。

手に持った円筒の先端部分に。
両端が塞がった試験管のようなものが。
縦に付けられている。

その中に透明のオイルが詰められて。
砂・小さな赤・緑・黄色い☆・ビーズなどが。
ゆるゆると漂っている。

覗く時は試験管を縦にする。
そうすると浮遊物が砂時計の砂のように。
緩やかに落下する。

その落ちる様を内面鏡を使って。
覗き見るというわけだ。

最初は重量のあるものから。
ゆるゆる落ちる。
鮮やかな幾何学模様が変化していく。

そして。次第に次第に。
重量の軽いものが。
仕方なくとでもいうように落ちてきて。
ゆっくり小さく曖昧な変化になってくる。
まるで線香花火を見るようだ。

終わると上下逆様にして。
また繰り返し覗く。

最初はパッパッと変化。
やがてゆっくりになる。
なんだかそれは人生の中の。
辿ってきた時間に似ている。

若い頃の時間は鮮やかに記憶される。
年を取るにつれ。そうでなくなる。

年を取れば取ったぶんだけ。
毎日の時間は。
おぼろげになっていく。

「なんだか魔法使いの婆さんの家へ来たみたいw」

オレが箱に万華鏡を収めながら冷やかす。
Tさんがにこりと笑顔を返される。

「まだ若いつもりなんだけどね~」

万華鏡のような玩具のことで話が弾み。
軽口の叩ける人がいることを。
近頃オレは。ちょっと幸せに思っている。



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アルク~ビーフシチューをつくる
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休日11時に家を出て。
海辺までトボトボ歩いて銭湯に入り。
鏡に映った我が身を見る。

あ。@@;

腹が少し出てきましたか?
急いで備え付きの体重計に乗れば。
55kg。肥えている。

53kgをキ―プして年を越したが。
食う・歩かずでは無理もない。

健康的な男性なら全然問題ない。
まだまだ痩せているほうだ。
だがオレにはいけない。
これではモトノモクアミなのだ。

2月に定期健診がある。
前回は血糖値もそうだったが。
中性脂肪も高くなりつつあった。

「薬飲みます?」

主治医の覗きこむような顔が見える@@;

居心地のいい椅子に。
腰を下ろしたような気の緩みは。
なかなか元に戻らない。

また面倒なことになりそうだ。

湯に浸かりサウナに入る。
ぽかぽかした体で休憩所でぼんやり。
マッサージ機8分間・100円なり。

午後3時・家路に着く。

今日の御供は自転車で。
乗らず杖代わりに。
片手でコロコロ転がしていく。

自転車を引っ張り出したのは。
去年の夏に買ったものの。
すっかり埃を被っていたからで・・・

スーパーが見える。

ああ。今日はシチューなどしてみようか?
ふいに55kgの体重が頭を過ぎり。
肉なし野菜たっぷりビーフシチューが目に浮かぶ。

野菜コーナーに行く。

タマネギを見る。
小さいのが3個で198円@@;

ジャガイモ大小4個で138円。ん~。
人参4本138円。ん~ん~。

行きつ戻りつ。

見切り品がないかを探す。
今日はない。
クズ!クズ野菜でいいのだ!!

うろうろしながら尚も買い兼ねていると。

なんだかえらく身分不相応の。
贅沢な買い物をするような気になって来る。
次第に迷いの森へ入っていく・・orz

買え!
とにかく買うのだ!
シイタケ3本入り1パック。98円。

ふ~。

勢いづいて。
ジャガイモ・タマネギ・ニンジンを入れていく。

ビーフシチュー1箱168円。
6皿分ってなに?
他を見ても8皿分までしか置いてない。

お徳用10皿とか12皿とかないの?@@;

6皿にするか?8皿にするか?またもや迷い。
1分ばかり考え考え考え。
それを突き抜けて1箱6皿分をカゴの中に入れる。

シチューの時はパンだと決めているから。
迷わず食パン6枚入り98円を入れる。

ついでにスパゲティ3束118円を手にとり。
シチューをかけて食べようかと考える。

ひとつの公式が浮かぶ。

カレー+スパゲティ=まずい(二度と食うか
シチュー+スパゲティ=食える

なぜ?

レジに向かいカゴを置き。
買い物袋がないので。
やむなく袋5円をお願いする。

スーパーで1000円以上の買い物をすると。
非常に高い買い物をした気分になるオレは。
代金が1000円以内であることを祈る。

1057円・・・orz

他にバナナ5本98円を買ったのが。
響いたようで。

小さな買い物ひとつするにさえ。
迷いに迷い。無駄な考えを繰り返し。
揚句は自分の思うようにならない。

スーパーを出る。

自転車のハンドルに重めの袋を吊り。
バランスを取りながら。
コロコロ転がしていけば。

ああ。
なんだなんだ。

役に立たない乗らずの自転車が。
こんなところで役に立っている。


朝礼と松陰
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萩・明倫小学校



「松陰」の文字を久し振りに見たのは。
介護喫茶と自嘲する画廊喫茶において。
「萩ものがたり」という山口県・萩市を。
紹介した小冊子を見つけた時のことだ。

表紙には吉田松陰の正座した銅像の写真とともに。
「松陰先生のことば~今に伝わる志」
と書かれてあった。

こんなものがどうしてここにあるのか尋ねると。
お店のTさんがコーヒーを淹れながら。
萩に行った際に土産として買ってきたものだといい。
思い出したように内容について話された。

「萩に明倫小学校ってあるでしょ?」
「ああ。あの木造校舎の・・・」
「そこの小学校って。松陰の残した言葉を。
 朝礼で朗唱するんだって」

「え?毎日?@@;」
「そりゃ。朝礼だから毎日。
 1年~6年まで全員教室で毎日朗唱」
「すごいねぇ~@@;」

「言葉は学年ごと・学期ごとで違ってくるから。
 卒業するまでに計18の松陰の言葉を覚える仕組みなんだって」
「ほ~@@;」

吉田松陰は松下村塾において。
高杉晋作・久坂玄瑞たちを育てた後。
密航の罪により断首された。
教育者としてはもちろん。
清廉・高潔な人柄だったことでも名高い。

明倫小学校の名の由来となる藩校・明倫館において。
師範を勤めていたこともある。

古人の言葉はややもすると。
古臭くなってしまうが。
改めて小冊子の言葉をみると。
そういった不自然さは感じない。

何かしら真理のようなものが。
その中に感じられるからだろう。

「萩ものがたり」から。
1年生・3年生・6年生の1学期の朗唱を抜粋する。


1年生・1学期

「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 
 人と成りにし 道を踏めかし」

~今までは、親にすがり甘えていたが、
 小学生となった今日からは、
 自分のことは自分でし、
 友だちと仲よくしよう~

「松陰詩稿・彦介の元服を祝すより」




3年生・1学期

「凡(およ)そ生まれて人たらば
 宜(よろ)しく人の禽獣(きんじゅう)に
 異なる所以(ゆえん)を知るべし」 

~人間として生まれてきた以上は、
 動物とは違うところがなければならない。
 どこが違うかというと、
 人間は道徳を知り、行うことができるからである。
 道徳が行われなければ、人間とは言われない~

「野山獄分稿より」




6年生・1学期

「体(たい)は私(わたくし)なり 
 心は公(おおやけ)なり
 私を役(えき)にして公(おおやけ)に殉(したが)う者を大人(たいじん)と為(な)し
 公を役にして私に殉う者を小人と為す」

~人間は精神と肉体の二つを備えている。
 そして、心は肉体よりも神性に近いが、肉体は動物に近い。
 ここでは、精神を公とよんで主人とし、肉体を私とよび、従者とする。
 すなわち、人間は公私両面を備えている。
 なお、精神を尊重するのは、良心を備えているからである。
 主人たる心のために従者たる肉体を使役するのは当然のことで大人(君子)の為すところ。 
 これに反し、従者たる肉体のために、主人たる精神を使役するのは、小人の為すところ~

「丙辰幽室文稿より」


読み下しの部分は。
小学生に合わせて書かれていると思われる。




といった具合に。
人として歩むべき道を諭した言葉が選ばれている。

松陰は生前。自分の骨はどこに晒されるかわからないが。
自分の書いた文章が保存されれば。たとえ道端で死んでもかまわない。
というような意味の文言を残している。

「遺著を公にして不朽ならしむは、万行の仏事に優る」

だから子供たちが毎日朗唱するのは。
子供たちのためであると同時に。
松陰の遺志を受け継ぐことでもあるのだ。

朗唱は昭和56年から始めたと書かれてある。
今から30年ほど前だから。
朗唱して巣立った子供たちはかなりの数だ。

とは言え。すべてが。
松陰の言葉通りに生きるとは限らない。
大概は「そんなこともあったわね~」かもしれない。
しかし心の支えとした人はいたはずで。
そして。またこれから支えとする人もいるだろう。

「でもなんだね~。朗唱する小学校って。
 そうそうないから。 大きくなって。
 ちゃんと物事の道理が分かった時。
 けっこうありがたい気持ちになるんじゃないかな~。
 松陰と小学校に対して・・」

「そうよね~。人間としてのプライドというか。
 そんなものを持って生きられるかもね。
 目に見えないけど。いい財産よね~」

精神の屋台骨を築く意味で。
この小学校のような朗唱というスタイルは。
他所でも活かされていいのではないか?

常日頃。教育とは無関係な立場にいるオレは。
Tさんと二人で話す間に。
柄にもなくそう思い。そう考えた。



アルク~海へゆく
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常日頃。万歩計をポケットに押し込み。
いつでも歩数がわかるようにしているが。
どうも寒過ぎるといけない。

元々。出不精のタチだから。
わかっているのに歩くことを厭う。

寒くてグズグズしていた寝袋から。
起き出したのが10時過ぎで。
プロパンガスで焼いたトーストを齧り。
牛乳の残りを少し温めて飲む。

自転車で海へ行こうと思ったが。
風は冷たいものの。
日差しは思ったより暖かい。

歩かねばならない。

ねばならんのじゃ~~@@;
ねばならんのじゃ~~@@;

呪文のように怠惰な自分を叱りつけ。
毛糸の帽子を被り。
海のある方角に向かって歩く。
足先がカチカチと冷たい。

民家の傍を過ぎると。

狭い未舗装の駐車場があり。
歩幅ぐらいの水溜りができていて。
張った氷が割れている。
氷は鋭いガラスのように見え。
溶けた様子がほとんどない。

其処彼処の庭先には。
八朔が鈴生りになっており。
その黄色が陽に照らされて。
眩しく目に入って来る。

周囲の田んぼ・山を見ながら歩く。

そのうち歩数は伸びて。
目の前の風景が。
見慣れた坂道になる。

両脇に民家を従え。
ただらだら坂を上り。
下ったところで。突然。
開けるようにして。

海が見えてくる。

その先を見れば九州があり。
水墨画のような山々が。
前後に濃さを変え連なっている。

正面にある海を眺めながら下っていくと。
右手の民家の庭先に桜木があり。
根元を見れば。
まるで小さな毛皮のコートが置かれているように。
薄茶色をした動物の毛が見える。

狸の屍骸@@;

ナンマイダ~ナンマイダ~
木の根元へ置かず。
穴を掘って地下に眠らせてやればいいものを。

などと勝手に思いながら歩けば。
もうそこは海辺になっていて。
ごぉごぉと海鳴りが聞こえてくる。

眼前にある海に顔を向け。
煙草を吸うオレのすぐ傍で。

眼鏡をかけた婆さんが。
小さな男の子にせがまれて。
かくれんぼをしている。

隠れる所などありはしない。

それでも婆さんはあらぬ方向に顔を向け。
もう~い~かい。と言い。
男の子はうずくまって顔を下に向けながら。
もう~い~よ。と言う。

入浴施設のある交流館へ入る。

風呂に浸かって体を温めると。
温まった体は。
腹を空かせてグウという。

館内の食堂に行き「牛筋丼」を食う。

トロトロの牛筋と蒟蒻が混ざりあって。
白い飯に乗り。
それらを引き締めるようにして。
白ねぎのみじん切りが盛られている。

これを食うのは3回目だったか。
味はこってり甘辛く。
味噌汁がついてくれば言うことはない。
(セルフにしては割高感ありありw

帰りに要する時間を見計らって外へ出る。

下った坂道を今度は上がって。
来た道を辿る。
例の桜木の前を通り過ぎる。

するとどういうわけか。

先ほどの狸の背中に。
紅い山茶花と名を知らない黄色い花が。
一輪づつ置かれている。

どうやらオレが海にいた間に。
情け深い旅のお方が通ったらしい。

それを見やりながら。
万歩計を取り出し確認すれば。

6417歩。

冷たかったオレの足先は。
温かくなっていて。
軽い足取りになっている。


思い出館徒然記~世にも奇妙な物語
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世の中には不思議な話・まさかという話があるもので。
それを実感したのが。
先だって行った思い出館の新年会でのことだった。

新年会とは言っても。まるで隠れ里のように。
訪ねる人も稀な思い出館のことであり。
お招きしたのは年配者5人と臨時supporterが1人。

かるたとり・善哉を食べるといったふうで。
新年会とは名ばかりのつつましいものだ。

始めるに当たって顔合わせが初めての方もおられ。
とりあえず各自。自己紹介をすることになった。

参加者の中に。
過去記事で登場した仲良し凸凹兄弟もおられ。
その弟さんから自己紹介が始まった。

下の名前は満。
生ま故郷が旧満州国だったので満になったとか・・・
そこから。
幼少時代・青年時代の話となりなり・・なり過ぎて。

・・・話が終わらないT-T

こりゃ。半生記・一代記だな。
どこで話を区切ってもらうかな?
と。主催者のオレとしてはやきもき。

下手な所で止めると話の腰を折るようで申し訳ないし。
どうするか?と考えていた。
そのうち弟さんの話が奇妙な展開になってくる。

42歳から69歳までの記憶がほとんどない。

というのだ?????@@;
その奇妙な話は。ご兄弟の話を合わせて足して且つ憶測すると。
結局。こういうことになる。

今から33年ほど前。広島・呉港海域付近。
42歳の弟さんは兄上と一緒に貨物船に乗っていた。

夜間。兄上と弟さんのいる部屋から。
弟さんが用を足しに出たが。
いつまで経っても部屋に戻って来ない。

おかしいと気づいた兄上が。
船中を探してみるが。
弟さんの姿はどこにも見当たらない。

さては海の中に落ちたか!?

兄上は弟さんが泳げないことを知っている。
翌日から海上保安庁によって。
周辺海域の捜索がなされた。しかし。
どこにもそれらしき人影が見つからない。

数週間が過ぎてもわからず。
結局。行方不明のまま捜索は打ち切り。
弟さんは死んだことになり戸籍から抹消。
家族は墓を建てた。

兄上は諦めきれず。ひょっとしたら。海流によって。
遠くへ流された可能性があるかもしれないと思い。
どこまで漂流していくものか小瓶で試した。

「小瓶に住所と名前を書いたメモを入れて。
 40本ぐらい流したかな・・
 見つけた人から連絡があって。
 その中には千葉まで辿り着いたものもあったんですよ」

弟さんは。どうやら海上に漂っていたところを。
誰かに救われたらしい(もしくは海辺?)
らしいというのは。もうその時には記憶がなくなっており。
自分がどこの誰か。わからなくなっていたからで。
助けた人の名もわからなければ。経過もまったくわからないためだ。

「おそらく弟は船から落ちた際に。どこかで頭・体を強く打ち。
 気絶した状態で海に落ちたんでしょう。 
 だから海水を飲まずに済んだんです。
 それでぷかぷか浮いて。流れて行ったんだろうと思います。
 下手に泳げていたら。逆に溺れていたかもしれませんね」

その後の記憶は。断片的にしか覚えておられない。

関西~岡山~広島と27年間渡り歩き。
自分が何者かわからないまま。
工事現場で働いたり板前仕事をしたり。
挙句はラーメン屋まで開いていたそうだ。

ただ仕事をする上で。
身元を証明するものが何もないから。
それが不要のところでしか働けない。
必要が生じれば逃げ出したらしい。

「弟は不器用だったのに。
 料亭に出るような料理ができるようになっていましてね。
 包丁捌きが板前さん並なっていたんですよ。
 運と人に恵まれたのでしょうねぇ」
 
必要な時に必要な人が現れ。
弟さんに関わり助けてくれたのだろう。

それまでは管理者のような立場におられたから。
人並以上の「自活能力」があったのだろうが。
必要に迫られていたとはいえ。その逞しさには脱帽する。

兄上と再会する切っ掛けになったのは心臓発作。
そのことで不安になった弟さんが。
やむなく警察署に相談したことが27年ぶりに会うことに繋がった。

警察から電話連絡を受けた兄上は。
ただただ呆然としたらしい。
とっくに死んだと思っていた弟が生きていたのだ。

「お前。足が付いているか?」

「電話で兄の声を聞いたら。ああ。兄の声だな。
 というのは。なんとなくわかりました」

それからが大変だったそうで。
戸籍上。一度死んだ人間が生き返るという。
世にも稀なケースだったため。
手続きには相当な時間がかかったらしい。
(消息不命中・奥さんが亡くなられた様子・立ち入った話は聞かず)

素人の講釈で申し訳ないが。記憶には長期記憶・短期記憶がある。
弟さんの場合。転落事故の身体的ショックが元で。
脳内の長期記憶を司る分野が損傷を受けたのだろう。
だから27年間とそれ以前の記憶が思い出し辛く曖昧なのだと思う。

再会して6年。
ご兄弟は今。27年間の空白を埋めるようにして。
あるアパートの隣同士で仲良く暮らしておられる。