アルク~桜の咲く朝に
桜



セメント製造で栄えた町は。
今ではすっかり。鄙びていて。

日曜日であるにしても。
かつては。中心地だったはずの。
商店街に。人影は少ない。

新築したばかりの。
写真店の屋根瓦がやけに目立つ。

その真っ直ぐの道を。
テクテク歩き。左に折れてみれば。
緩やかな坂道がある。

右手に民家があり。左手は。
樹木が繁って。小さな林という感じ。

中ほどまで。辿ると。
その林の前に。
小さな拝み所がある。

側には。すずらんの花が。
拝み所に向かって。
頭を下げるようにして咲いている。

拝み所の入り口には。
文字が書かれてある。

「拝んだ手を 皆 つないで 輪になって」

祈りは。拝むことは。
救いを求めることは。

誰でもするだろうが。

その手は。「皆」に。
つなぐことには向けられない。

オレもそうだが。誰もが。
都合のいい人にだけ。
手をつなぐ。それは至極当然。

だから。けして。「皆」で。
輪を作ることなんか。
できないはしないのだ。

だが。待てよ?
そうでもないか。

やがて。いつの日か。巡り巡って。
自分の手に向かって。
「その手」は。伸びて来るのかもしれない。

そして。

同じように。オレの手も。
誰かの手に向かって。伸びるのかもしれない。
今は。目に見えないだけなのだ。

そんなことを。思いながら。

坂道を上り詰めれば。右手の。
小高い敷地から。桜の枝が覗く。

敷地には。桜に囲まれたChrist系の。
幼稚園があり。古い白い建物は。
桜の花と。よく似合う。

その側を通り抜け。
急なセメント作りの石段を。
下に降りていく。

降りた先には。ログハウスのような。
ステージがあり。そこから正面を。
見据えると。急な斜面は。段々畑のような。
観客席となっている。

そこを上がって行く。

観客席は。背の低い雑草と。
枯れた紅葉に覆われている。
ふかふかして。古い絨毯のよう。

周辺は。桜の木ばかり。

夜桜見物用として。
紅白の提灯が。所々に連ねてある。

夜に桜を見るのもいい。

いつの年だったかの夜。
この場所に来たら。
満開の桜で。紅白の提灯があるせいか。
桜の花が。やけに濃く映り。

妖しく幻想的だった。

白い着物の女性が現れて。
それが例え。
狐の化けた姿であったとしても。
ちっとも可笑しくない空間だった。

それにしても。

どこを見渡しても。
人工的なものでない限り。
平地になったヶ所がない。

いずれも。どこか歪んでいる。

ここは。昔。小山(高台?)だったのを。
利用して作られた公園なのだ。

一番高い所から。市街地の道路が。
すぐ下に見える。オレは。そこから。

ぐるりと背中を向けて。
公園を一周するような按配で。
歩いていく。

やがて。

公園の外れに。急な石段を見つけ。
そこを下っていく。

降りれば。再び。
先ほどの幼稚園の下に辿り着く。

犬を連れた見ず知らずの若者に出会う。
「おはようございます」と挨拶。
ぼそぼそとした元気のない声が返ってくる。

オレは。苦笑しながら。
清閑で緩やかな坂道を。
先ほどまで歩いていた商店街に向かい。
下っていく。





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スケッチ~夜の海辺
三日月



その海辺には。
大衆浴場がある。

貸しタオル・シャンプー付き500円なりの。
代金を支払い。

しばし。湯船に浸かる。

なんだかんだと。
いろいろあって。草臥れた。

我ながら。まさかね?という感じ。

今日出した久し振りの「あの手紙」は。
オレのほんとうの想いを綴って出した。

それにしても。
これからの漠然とした日々を。
どう穴埋め・対処するか?

今は何も考えず。黙って。
事の成り行きを見ていようか。

人事のように。

そう想いながら。風呂からあがり。
夜の海辺を。ひとり歩く。

整備された鋪道。駐車場。芝生。
周辺を。時間をかけて歩く。

暗い遠望の彼方に。
九州・国東半島の灯り。

サーチライトが海面に揺らめく。

潮騒は。個々彼処に戯れながら。
控えめな波音を立てている。

頭をあげれば。

冴えた下弦の月。
広大なオリオン座。

そして。

名前を知らない星星。

考えてみれば。ここ最近。
夜に星を。
探さないでいた。

そういう気持ちが。
失せていた。

オレは。月や星に。
閃きを与えられ。
それをImageに変えてきた。

実生活を選ばず。
ひたすら。虚の世界に。

自分の価値を見出してきた。
そういう人生。

実と虚。

実があるから。
虚が存在できる。

だからこそ。

そのバランスを。
自分なりに。上手く取りながら。
転びながらでも。
崩れないように生きてきた。

しかし。今。
実ばかりの世界に疲れて。
呼吸困難となっている。

なんと。虚弱な体質であることか。
でも。それはそれで。
仕方がないことだろう?

これがオレに与えられた十字架。

右往左往しながらでも。
その十字架を背負って歩こう。

人生が夜になっても。
星ぐらいなら見出せるだろうから。







アルク~黄昏に歩く
水仙



黄昏に歩けば。
薄い灰色の空。

だが。冬のそれとは違い。
どことなく温い空気が漂う。

民家や空き地に。我が家では。
結局。一輪しか咲かなかった水仙が。
白や黄色の花を咲かせている。

春の訪れを告げるような色合い。
ふくよかで。やさしく。清清しい。

いつもなら。
細い道を真っ直ぐに歩くが。
今日は。ヘソを曲げて。

道の半分辺りを行った所で。
左に折れてみる。そこには。

一直線に伸びた幅2mばかりの。
舗装路がある。
距離は300mほどか。

その先には。市内に繋がる道があり。
細い道だが。クルマも通る。

歩く間に4台。遠慮しながら。
オレの側を通り抜けた。

道の両サイドは空き地で。
背の高い枯草が覆っている。

道の中ほどを行けば。
左手に水溜りがある。枯草が折れて。
水に浸かっている。

それは冬の名残のようで。
枯草の茶褐色に焼けたような色が。
侘しく目に映る。

オレは。それを見やりながら。
道を抜ける。

市内に向かうクルマが。
夕暮れの中。
せわしなく走っている。

その側の歩道を歩く。

歩道には。所々に。
這いつくばるようにして。
背の低い雑草が生えている。

ほとんどすべてに。
小さな花。もしくは。
蕾が付いていて。オレは。

名前も知らない雑草に。
春の訪れを教えられる。

しばらくすると。

頭上に。
柿の木が見えてくる。

その柿の木は。
人の住んでいない家の。
庭に生えている。

去年の秋には。見事な富有柿が。
7つばかり。実っていた。

住人がいないから。
誰も取り手がなく。
カラスも食べに来なかったようで。

勿体無いことに。その実は。
枝に付いたまま腐ってしまった。

葉のない枝には。
やがて4月5月ともなれば。
鮮やかな緑の葉が付くだろう。

そして。秋には。
夕日のように眩しく美しい紅い実が。
幾つもぶら下がるに違いない。

オレは。枝を見ながら。
その下を通り過ぎる。

向こう側から。

高校生が自転車に乗って。
帰り道を急ぐ。その速さ。

つられて。オレは。

足が引き攣らないほどの速さに。
加速する。

だが。それも長くは続かない。
すぐに足は。ダレてくる。

ひとり苦笑いを浮かべれば。

やがて。黄昏の中。
見慣れた我が家が見えてくる。






Angel
天使



心のきれいな人のことを指して。
「天使のような」という表現がある。

オレは天使を見たことがない。
「天使のような人」も見たことがない。

残念ながら。やっぱり。
「人間なのね」という人ばかりだ^^

手持ちの本の中に。
「天使の本」
(ソフィー・バーナム著)というのがある。

タイトル通り。
そのまま天使について書かれた本で。
多くが天使の目撃談に割かれている。

その中でも。
特に印象深かった文章を。
掲載したいと思う。

会ったこともない人の話だが。
何年経っても忘れ難い話だ。



「わたしが天使を見た日」

わたしが昔の天使の物語に新たな光をあてるような経験をしたのは、
クリスマスではなく、冬ですらなかった。
輝かしい春の朝で、妻とわたしは、マサチューセッツ州バラードヴェイル近くの、
芽吹きはじめた樺や楓の林を散歩していた。

こうした個人的な体験が信じられるかどうかは、
語る人の良識と誠実さに左右されるだろう。
それでは、わたし自身について何を話せばいいだろうか。

わたしは推測を嫌い科学的調査を重んじる学者である言えばいいか?
ハーヴァード大学で学位を、コロンビア大学で修士号を、
ハートフォード・テオジカル・セミナリーで博士号を取得したと言えばいいのだろか?

わたしは幻覚など見たことがなかった。弁護士に証言を求められて法廷で証言し、
判じも陪審員も信頼できる証人だと判断してくれた。これらはすべて事実だが、
だからといって、ほかの面での信頼性が保証されるものかどうか疑わしいとわたしは思う。

結局は、それぞれが自分の経験や世界観、理解によって他人の言うことを判断するしかない。
だから、わたしはただ語るだけにしよう。

その朝、わたしはマリオンと手を携え、純粋な生の喜びを感じつつ、美しい緒川に沿って、
絨毯を敷いたような柔らかな小道を歩いていた。
五月で、わたしが教授をしていたスミス・カレッジでは試験準備期間だったので、
数日の休みを取ってマリオンの両親を訪ねることができたのだった。

わたしたちはよく田舎道を散歩したし、とりわけ厳しいニューイングランドの冬のあとに迎える春、
野原や森が光と静けさに満ちて、しかも地には新しい生命がいっせいに芽吹く時期が好きだった。
その日、わたしたちはとくに幸せで安らかだった。ぽつりぽつりと話したり、
満ちたりた沈黙にひたったりしながら、歩いていた。

ふいに、後から遠いひそやかなつぶやき声が聞こえてくるので、マリオンに言った。
「今朝は、林の中にお仲間がいるらしいね」マリオンもうなずいて振り返った。

何も見えなかったが、わたしたちが歩くよりも早いスピードで話し声は近づいてくるので、
もうじき追いつかれるだろうと思った。そのとき、話し声が背後からだけではなく、
頭上からも聞こえてくるので、上を見上げた。

そのときの感じをどう表現したらいいのだろう。身体を駆け抜けた高揚観を表現できるだろうか。
その出来事を客観的に、しかも信じてもらえるように伝えることができるだろうか。

頭上十フィートほどのやや左手に、霊的な美に輝く美しいものの一団が浮かんでいた。
わたしたちは、足を止めて、頭上を通りすぎていく姿を見つめていた。

全部で六人、白いふわふわした衣装をつけた美しい若い女性が熱心に話し合っていた。
わたしたちがいるのに気づいたとしても、そんなようすは見えなかった。

彼女たちの顔ははっきり見えたし、そのうちの一人で少し年長に見える女性は、とくに美しかった。
黒い髪はいまで言うポニーテールのように、後でまとめてあるようだったが、
後の結び目は見えず、こちらに背中を向けて彼女に顔を向けている年若い仲間に、熱心に話しかけていた。

マリオンもわたしも言葉は理解できなかったが、その声ははっきりと聞こえた。
ドアも窓も閉じた家のなかで、外の話し声を聞いているような感じだった。
彼女たちはふわふわとわたしたちの上を通りすぎていくらしかった。

その優雅な動きはまったく自然で、その朝そのもののように穏やかで安らかだった。
通り過ぎたあと、話し声はだんだん遠くなり、やがてすっかり消えた。
わたしたちは、手を取り合ったまま、いまの光景に打たれてその場にじっと立ちつくしていた。

驚いたというのも愚かだった。
それからわたしたちは、相手もその光景を見たのだろうかとお互いの顔を見つめあった。
小道の横に樺の木が倒れていた。それに腰かけて、わたしは言った。
「マリオン、何が見えた?見たものを正確に話してくれないか。それに何が聞こえたのかを」

彼女はわたしの言葉の意味を理解した。
幻覚か想像かもしれないと思い、自分の目と耳を確かめたがっているのがわかったのだ。
彼女の言葉は細部にいたるまで、わたしの経験とまったく一致していた。

わたしは法廷の証人席で語るときと同じく、真実と正確性を重んじつつ、正直にこの物語をした。
だが、この話がどれほど信じがたいかよくわかっている。
たぶん、言えるのは、この出来事がわたしたちの人生に深い影響を与えたということだけだろう。
ほぼ三十年前のこの経験で、わたしたちのものの考え方は大きく変わった。



原文そのままを引用させてもらった。
何故。この文章をいつまでも印象深く覚えているかというと。

不思議なことだが。これと同じような光景を。
萩尾望都というマンガ家が。
「銀の砂岸」というイラスト集に描いているからだ。

もちろん登場人物は多少違っているが。
同じように上空を漂っているし。
なにやら話し込んでいる人物もいる。

彼女もまた。天使を見たひとりなのだろうか?
(まさかね?)

そう言えばクリスチャンの古い知り合いが。
父上を亡くされた時。天使の足を見たと真顔で言っていた。
信用に足る人だから幻覚ではなく。

ほんとうの話だろう。




びわ雑炊・補~「仮面サイダー」・石森章太郎
仮面ライダー



いきなり。
袈裟懸けで切られたような感じだ。

ダイドーの自販機に。
ウルトラコーラ(復刻堂とのコラボ)と並んで。
新製品が置いてあった。

その名も。

「仮面サイダー」・・・・・orz

いやぁ^^;

こうきましたか。復刻堂さん。
ウルトラサイダー及びコーラは。

蓋を開けたら。
シュワ~=ウルトラマンだから。
感心・納得したが。

「仮面サイダー」は。
単なる駄洒落じゃないの?
ライダーはトォ~!!だよ^^

これでは。ただのネーミングではないか。
イマイチ・ウルトラマンのような。
説得力がないのだ(オレに対しての^^;

「大怪獣レモネード」というのもあって。
これには。バルタン星人の顔が・・・
バルタン星人なら許そう(笑

まぁ。こういうものは。
次第にアイデアが苦しくなるもので。
オレにもよくわかる(笑

さっそく。買ってみた(サイダーだよ^^;
やっぱり。ウルトラサイダーと同じ味(サイダーだもん^^;

仮面ライダーと言えば。
「サイボーグ009」と同じく。
サイボーグ(改造人間)もの。

「怪獣もの」ではなく「怪人もの」
というジャンルを初めて?
扱った作品だと思うが。どうだろう?

石森章太郎が。少年サンデーに。
「仮面ライダー」を連載していた頃の。
仮面ライダー=本郷猛は。

自分が改造人間・特殊な人間になったことを。
非常に苦しみ。悲しんでいた。

「サイボーグ009」の登場人物たちも。
授かった特殊能力を使って活躍するが。

その陰で。サイボーグであることに。
苦悩する様子が描かれている。

しかし。TV版「仮面ライダー」は。
そういった苦悩とは。無縁だったように思う。

まぁ。子供相手だから。
眉を寄せて苦悩する顔を。

出したところで。
視聴率が低下するだけだし(笑

やはり。ショッカーの怪人相手に。
ドンパチやっていたほうが。
番組上。健康的ではある^^;

同時期。石森章太郎(後に石ノ森と改名)は。
なぜかヒーローものを。
たくさん生み出している。

「仮面ライダー」シリーズは元より。
ギターを背負っていた「キカイダー」もそうだし。

「秘密戦隊ゴレンジャー」もそうだ。
「変身忍者アラシ」ってのもあった。

ほとんどTV化されているから。
TV側の要請を受けて作ったのかもしれない。

ちょっと。作りすぎの感もあるが。
仕事だし。要請があれば。割り切って。
作るものプロというものだろう。

手塚治虫が嫉妬を覚えるぐらいの。
豊かな才能を持った人だから。

ヒーローのひとつやふたつ。
作るのも。朝飯前だったかもしれない。

オレは。元々。石森章太郎の。
漫画が好きで。とくに初期の。
「サイボーグ009」の大ファンだった。

「ブラックゴースト団」の島から。
脱出し。0010~0013までの。

同じ改造人間と戦う件は。
何度も繰り返し読んだ覚えがある。

そこには。単に「ヒーローもの」だけではない。
生きた人間が描かれていた。

彼は。多作の人で。天才とも呼ばれた。
SFあり。ギャグあり。少女モノあり。
時代モノあり。と。驚くほど多様だ。

晩年の代表作は。
TV化された「HOTEL」だろうか?

ブルドーザーのような馬力で。
亡くなるまで大量の作品を残した。

そう言えば。彼が言っていたことだが。
「漫画」と。呼ばず。これからは。
「萬画」と呼ぼうと提唱していた。

漫画という当て字では。
多様になってしまったこの媒体を。
表現できないというのが。その理由だった。

しかし。全然。定着しないまま。
「漫画」は「マンガ」になってしまった(笑

オレの子供の頃に。慣れ親しんだマンガ家。
手塚治虫・赤塚不二夫・石森章太郎・藤子F不二雄。

早いもので。もう。みんな。
鬼籍に入ってしまった。それでも。

オレの中では。みんな。まだ健在で。
ちっとも。色褪せていない・・・

何時の間にか。思い出の話になった。
オレも年をとったって。ことだろう^^;