滅びの美学~老いて輝く・真田幸村
真田幸村
真田幸村


有名な真田十勇士。
猿飛佐助・霧隠才蔵・根津甚八・三好清海などなど。
(って。他はよく知らないんだけど^^;)

猿飛佐助を知ったのは。東映のアニメ映画が最初だ。
当時の東映アニメは現在の漫画雑誌のキャラクターを。
メインにしたアニメではなく。

「白蛇伝」「安寿と厨子王」「西遊記」など。
過去の有名な書物の中から作品化されたものが主で。
おそらくDisneyを参考にして作られていたのだろうが。
それはそれは高品質のアニメだった。

そんな中に「猿飛佐助」があり忍術使いになるために。
苦行・修行するといったことがメインの映画だった(気がする^^;
仙人みたいなお爺さん(白雲斎?)が出てきて。
佐助に忍術を教えるのだが。
なんだか忍者と仙人を誤解しているようだった(気がする^^;

さて。そんな猿飛佐助が仕えたのが真田幸村。
彼は晩年。豊臣秀吉の築いた大阪城に篭り。
徳川家康軍に対し獅子奮迅の戦いをした人物。

実名は真田信繁と言うらしいが。
ここでは幸村のほうが語感がいいので。
「真田幸村」ということにするw

そんな真田幸村に関心を持ったのは。
小説家・海音寺潮五郎氏の。
「武将列伝」という評論集を読んでからだ。

その中の真田幸村は。えらく恰好悪い。
彼は大阪城に入城するまで。紀伊国・九度山で。
長い蟄居生活を送っていた。
(関が原の戦いで。父・昌幸とともに西軍に属し敗北。
東軍についていた実兄の真田信之が。
徳川家康に取り成しを願い。死罪だけは免れていた)

歯が抜け。頭も薄くなり。腰の曲がった自分を。
情けなく思う手紙が紹介されており。
家康をあわやと言う所まで追い詰めた人物とは。
到底思えないほどだ。

当時は老いるのも早かっただろうから。
それも仕方がないが。老獪な武将だった父の昌幸も。
九度山で亡くなっているし。希望のない生活をしておれば。
尚更。老いるのも早かったのだろう。

夢・希望・感動。

作家の瀬戸内寂聴さんが80歳を過ぎて。
何事にも感動がなくなってしまい。
これは困ったことになったというので。

何か新しいことを始めようとして。
ケータイ小説を書いたそうな。
それも内緒で秘密でやろうとしたそうな。

で。初めてのことで。それを書くのは。
大変な作業だったけれど。
若い人たちからの反響がすごかったらしい。

しかも瀬戸内寂聴と名乗らず。
「パープル」という名前を使っていたから。
「あなたは文章が上手ですね!」なんて。
有名作家の寂聴さんにすれば新鮮なコメントがもらえる。
それがすごく嬉しく楽しかったらしい。

すると。どういうわけか肌艶がよくなったとか?

「ワクワク・ドキドキ感」
何かの刺激・気持ちの張りがあれば。
人は老いても活性化するものなのだ。

それは徳川家康軍と戦うため。
大阪城へ赴いた真田幸村も。
同様だったのではないだろうか?

人知れず死んで行く身であったのが。
大阪城という天下第一の名城で武将として戦が出来る。
ましてや相手はあの徳川家康。
(過去に城攻めに会い父とともに戦い勝利している)

勝つにせよ負けるにせよ。これほどの相手はいない。
幸村にとって体内の細胞が。
「超活性化」する程の出来事だったはず。

これこそまさに僥倖。

幸村は冬の陣・夏の陣と二度の戦いで。
思う存分働き。結果。夏の陣において討死する。
(因みに彼の息子は秀頼とともに自刃している)

幸村にすれば花のある舞台を与えられ。
彼の人生において最も輝かしい時と場所を図らずも。
手にすることができたのだから。
心底満足して喜んで死んでいったのではないか?

負け戦だから悔しいに違いないが。
それでも幸村にとっては勝ち戦に等しかったはずだ。
万感の想いで討ち死にしただろうと思う。

余談ながら最後の最後は。
「曲がった背筋もピンとしていた」かもしれない。
などと。在らぬ想像をしてしまうのだったw

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この記事は2010年に掲載しており。
多少の手を加え再掲載したものです。
現在NHK大河ドラマ「真田丸」が放映されていることもあり。
掲載してみようと考えた次第です。



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滅びの美学~西郷のいた夏
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錦絵・西郷隆盛


ある年の夏。

鹿児島・桜島を訪ねた。
特に理由があっての旅ではなかった。
桜島へ渡ると。そこは同じ鹿児島市内と違い。
まったく別の世界だった。

町の至る所に火山灰が積もり。
屋根瓦やクルマは灰色で。
水のない川の底は月のクレーターを見るようだった。

大袈裟に言えば空気や人の顔さえ灰色に見えた。
住人の肺は灰だらけではないのか?
などと大いに疑問に思ったものだ。

さて。その桜島を幼い頃から見て育ったのが西郷隆盛だ。
彼は低い身分から紆余曲折を経て維新の大立者に成長するが。
やがて明治政府の反逆者となり鹿児島・城山にて自決する。

幕末の名のある者たちの多くは。
安寧とした死を迎えていない。
維新前の坂本竜馬は元より日本陸軍創設者の大村益次郎や。
初代首相・大久保利通などは暗殺されているし。
獄死・切腹した者は数え切れない。

彼らは新しい時代の日本。
その国体を固めるための人柱になったと言ってもいい。
だからそういう時代にあって。
西郷の死の在り方もけして不自然ではない。

ただ西郷の死はどこか他者の死と違う匂いがする。
諦念というか他に術がなかった・致し方なく。
とでも言っているように思えるのだ。
これは他のどんな人物にも感じられないところだ。

彼のいた薩摩藩は戦国時代から。
武勇に優れた藩主・人材を多く輩出し雄藩として名高く。
関ヶ原以後も幕府からは絶えず警戒される存在だった。

警戒されていたと言えば。
毛利元就時代に中国十ヶ国を支配していた山口の毛利藩も。
同じような立場だったろう。

聞けば毛利藩には年賀に行う恒例の儀式があったそうだ。
家来が「今年は如何なされますか?」と藩主に問うと。
藩主は「いや待て。まだ早い」と答えていたと言われる。

つまり毎年毎年。
天下取りの方はどうされますか?と尋ねていたわけだ。
形式のみとは言え。穏やかな儀式ではない。

何れにしろ毛利藩や薩摩藩には徳川を倒し。
天下を伺う気風が残っていたと考えていい。

それが現実になったのが幕末~明治維新であり。
明治政府は両藩が300年という時間をかけて。
天下を望んだ結果でもある。
(時代の変化で天下の形はまるで違ったが)

そんな薩摩藩だからこそというべきか。
明治政府が組織だった軍隊を持っていたのにも関わらず。
廃藩置県により鹿児島県となって以後も独自の軍隊を持ち。
まるで独立国家のような存在・立場を取っていた。

明治政府とすれば。これほど厄介な存在はなかっただろう。
幕府を倒した藩でありながら国内の脅威・火種でもあるからだ。

そんな中で政府の要人のひとりだった西郷が。
大久保利通・木戸孝允らと意見が対立し鹿児島に帰る。
西郷の下野はその後に起こる西南戦争の引き金のひとつにもなった。

明治十年に西南戦争は起きる。

事の発端は士族の子弟を中心とした私学校生徒の暴発からで。
九州において凡そ九ヶ月に渡り凄まじい攻防戦を繰り返した。
官軍・薩軍相方ともに6000人以上の犠牲者を出している。

しかし西郷にしても。
西南戦争に至る原因が暴動誘発を狙った政府にあった?とは言え。
維新を終えたばかりの国内で新たに戦を起こすなど考えていなかったはずだ。
(個人的に彼は元来好戦的な人でなく平和主義者と思っている)

同時に薩摩の剛毅な風土と誇りが士族たちに明治政府何するものぞ。
という気概を持たせていることも承知しており。
そんな士族たちを宥めることは同じ薩摩人として心情的にも容易ではなかっただろう。
言わば前にも後ろにも進めない板挟みの心境だったろうか?

それ故。かつての雄藩としての立場・名誉を守るためにも降伏せず。
自分たちを死に至らしめるしか事を収める方法がなかったのだと考える。
ここが西郷の死には他者と違って諦念があると思う由縁だ。

敬天愛人。

西郷の好んだ言葉だと聞いている。
礼儀正しく情の人だったと伝えられる彼らしい言葉で。
どこかキリスト教的な趣きがある。



滅びの美学~梶原一騎・ラストシーン
ジョー



最近。歩いていると。
過去の漫画の。
ラストシーンを思い出す。

劇画原作者・梶原一騎は。

「タイガーマスク」
「巨人の星」
「あしたのジョー」
「侍ジャイアンツ」
「空手バカ一代」
「柔道一直線」
「赤き血のイレブン」などの。
スポ根もので。一時代を築き。

それはそれは。
絶大な人気を誇ったものだ。

オレなんかも。オリジナルの。
アニメ・漫画を見て。
ずいぶん楽しませてもらった。

中でも。「巨人の星」と。
「あしたのジョー」は。
印象に残る漫画で。

特にラストシーンは。
今でも鮮やかに覚えている。

「あしたのジョー」は有名だ。

「真っ白に燃え尽きた」ジョーの。
目を閉じて。どこか安堵に満ちた顔。
そして。
白く描かれたその姿は。
今でも謎で。

死んだのか。
ただ疲れて休んでいるのか。
定かではない。

しかし。なんとも。
印象深く。記憶に残るひとコマだ。

聞いた話だが。このシーンは。
梶原一騎の。アイデアではなく。
漫画家・ちばてつやの発案。

梶原のほうは。どこかの病院で。
白木葉子を伴い。療養中であることを持って。
ラストシーンにしようとしたらしいが。

それを聞いたちばが怒ったらしい(笑

今まで散々戦ってきたジョーの。
ラストで。それはないんじゃないかと。

それで。あのシーンになったそうな。

このあたりは。ちばのほうが。
作品のへの思い入れが深かったように思う。

そうでなければ。
あのシーンは描けない^^

これを描くに当って。
ちばは。相当苦労したと聞く。

さて。

一方。「巨人の星」

このラストシーンは。
意外と知られていないかもしれない。
(まぁ。どうでもいい話ですけどね^^;)

ラストはこうだ(だったはずだ?^^;

大リーグボール3号を操り。
(ボールがバットに当らない魔球。
左腕からのUnderhand pitching)

父・星一徹率いる中日に対し。
走者を一人も出さないという完全試合達成まで。

あと一人。

最後の打者は。
中日に移籍した親友・伴 宙太。

大リーグボール3号の秘密を。
一徹から教えられ。打倒策のために。
腕立て伏せを命じられていた伴は。

汗みどろで。息も絶え絶えに。
バッターボックスに立つ。

それで。打てるのか?
誰しもが疑うような打席姿。

飛雄馬の眼光に炎。
大リーグボール3号を投げる。

しかし。投げた瞬間。

左腕がピシッ!と。
音を立てる。

見事にボールを捉え。
ライトへヒットを打つ伴。

しかし。

異常な体力の消耗で疲れ果て。
(腕立て伏せのやり過ぎ^^;)
思うように一塁まで走れない。

その間。ボールは外野から一塁へ。
判は倒れこんで一塁ベースを掴む。

アウトか?セーフか?
完全試合か?否か?

しかし。達成かどうか。
漫画では判然としない。
(わざと曖昧にした感じ?)

ところが。アニメでは。
完全試合達成ということになっている。
それで。星一徹が。

よくぞ。ワシを乗り越えたということで?
飛雄馬を背中に担いで。
マウンドから降りる(巨人の星テーマ曲流れる^^)

それがアニメ版の。
ラストシーン(だったと思います^^

で。漫画のラストシーンは。

コートの襟を立て。星降る夜の街を。
淋しく去っていく飛雄馬の後姿。
(ようするに失踪事件^^;

コートも。確か。腕を通してなくて。
肩で羽織っていたような気がする。
ヤクザもんみたいな感じで・・・。
左腕怪我してるんで。しょうがないけど(笑

それにしても。飛雄馬は。
時代のヒーローだったのに。
地味で。淋しげなラストだった(涙

梶原の書く漫画のヒーローは。
たいてい幸せになっていない。

見た目。全然不幸な人たちばかりだ。

「侍ジャイアンツ」の番場蛮は。
マウンド上で大往生を遂げるし(涙

「タイガーマスク」なんて。
突然。交通事故で死ぬんだから。
たまったもんじゃない(涙

憶測での話だが。

梶原一騎は。スポーツ。武道を通して。
男の理想像を求めつつ。

心のどこかで。
滅びの美学を求めていたのかもしれない。

そんな気がする。

そんな彼が。世間に妥協しつつ。
将来。好々爺になるようなヒーローなど。
作るはずがない(作れない。

晩年の彼は。トラブルが多く(現役時代も?
世間での評判は芳しくなかった。

しかし。今でも。
彼の作った作品の多くは。
大好きだ。

だって皆。燃え尽きるほど。
人生を戦っていたから^^








滅びの美学~机上の人・石田三成
三成2
     石田三成


机上の計算。別の言葉を使うと。
「物事は。こうだから。こうあるべきだ」
・・・という意味になるか。

人は自己保存のために。
未来を予想しながら・計算しながら生きている。
誰もが机上の計算をしているわけだ。

ところが人というのは。
感情という得体の知れないものを持っているから厄介だ。
感情は理性より敏速で。
原始的で恐ろしく強いエネルギーを持っている。

机上の計算とともに。
感情に追いまくられて生きているのが人間で。
人の感情というものを無視してしまうと。
始末に負えないことになってしまう。

石田三成は豊臣家に忠誠を尽くした義の人であると俗に言われる。
しかしこうも言えるのではないか?
人の持つ感情の恐ろしさに気付かず。
机上の計算でしか生きることができなかった人なのだと。

烏合の衆で関ヶ原を戦い。
結果。小早川秀秋の裏切りが直接の敗因となったが。
三成はそれだけで破れたわけではない。

破れるのは破れるだけの理由があったわけで。
彼が人の感情を忘れて机上だけで物事を推し量ろうとした結果が。
敗戦に結び付いたのではないだろうか?

石田三成は近江出身。少年時代。
その才覚を見込んだ豊臣秀吉によって。
豊臣家に仕えることになる。

彼が得意とした分野は経済であり。
同じく子飼いの加藤清正・福島正則などといった荒々しい武将とは。
根本的に質が異なっていた。
いわゆる武将としての働きもあるのだが至って評価は低い。
しかしこれは三成を貶閉めることに繋がらない。
資質の問題だからだ。

生まれ故郷の近江は商人の地であるとも言われていたから。
秀吉も武人としてではなく。
その商人としての才覚を愛し買っていたのだろう。

豊臣政権を安定させるために行なった政策。
太閤検地・刀狩は石田三成が先頭に立って行っている。
また小田原攻め・朝鮮討伐など。大掛かりな戦になればなるほど。
食料確保・調達は大事になってくるが。
それを成し得たのは三成の手腕があったればこそ。と言われる。

こういったことに人の感情は入らない。
数字の世界であり。数字のみが必要だ。
それをうまく操作できたのが三成という人だ。

政権も安定期に入れば武将働きも不必要になり。
三成のような人物が重宝される時代になる。
彼が最も輝いていたのは朝鮮討伐の頃だろうか?

だがその朝鮮討伐を境にして。
加藤清正・福島正則・黒田長政など。
武闘派の武将たちとの仲が急激に悪化してしまう。

朝鮮へ見回り役としても参加していた三成が。
武将たちの日頃の行いを秀吉に歪曲して報告したことが原因と言われている。
当時。軍監役(お目付け役)として参加していた黒田長政の父・黒田如水が。
暇なので碁打ちをしていたら。そのことまで秀吉に報告したらしい。

万事この調子なら。
周りにいた武将たちが反感を持つのは当たり前だろう。
これでは叶わないというものだ。
人の気持ちというものがわからないだけの。
ただの融通の利かない男でしかない。

人間というものは正の部分もあるし負の部分も併せ持っている。
腹黒い人間もいれば清らかな人間もいる。そして。得てして。
多くの人間はそのどちらも所有している。
だから清濁併せ持って人は見なければならない。
それが人間を見る際には重要だからだ。

だが三成はそれだけの男ではない。
友人に大谷吉継という人がいて。
彼は梅毒(当時。流行っていたらしい)にかかって。
顔が崩れていたらしいが。その吉継が参加した茶会で。
ひとつの茶椀を回し飲みすることがあった際。
他の武将は嫌がって飲む振りをする時に三成だけは普通に飲んだらしい。

また猛将で名高かった島左近という家臣を。
自分の知行30万石の半分で召抱えるという離れ業も演じている。
これには秀吉も驚いたらしい。
そういった覇気・気遣い・心のやさしさを持っている。

関ヶ原の戦いは西軍の三成と東軍の家康との真っ向勝負。
大軍同士の決戦ということになった。
西軍は三成に心から服しているのではなく。
あくまで功利だけで動いている連中だ。

その中に島津義弘という老練な武将がいて。
敵軍は遠方から来ているので疲れているだろう。
ということで。夜間襲撃を三成に提唱した。

それを「万時。大合戦で」という言葉で。
三成は断わっている。
「大合戦」それが三成の描いていた構想だったようだ。
一気に片を付けなければ寄せ集めの西軍のほうが。
不利だという状況判断があったのだろうか?

だが島津義弘は世に知られた勇将だ。
三成とは戦場での踏んだ場数が違う。
自分の話を聞いてもらえないというのは。
それこそ心外というものだったろう。

関ヶ原の戦い最中。西軍が不利な状況に陥った際。
島津義弘は三成からの戦うようにとの要請に耳を貸さず。
自分たちが窮地から脱するためにだけ戦って戦場から離脱した。
島津にもそれなりのお家の事情があったのだろうが・・・

確かに三成は計算ができ数字の世界で活躍していたが。
人間は数字だけでは割り切れない存在だ。
その点では家康のほうがトコトン知り尽くしていたように思う。

三成は大構想が好きだったようで。
処刑される際に喉を潤すために柿を勧められたが断わっている。
柿は消化が悪く腹を壊すからというのが理由だ。
今から死ぬという人間が何を言う。と笑った役人に対し。
大事を行なう人間というものはそういうものだ。
と。三成は真顔で答えたらしい。

ウソかホントか知らないが。
これは三成なりの。
最後のプライドだったのかもしれない^^




滅びの美学~老いて輝く・真田幸村
真田幸村
真田幸村


有名な真田十勇士。
猿飛佐助・霧隠才蔵・根津甚八・三好清海などなど。
(って。他はよく知らないんだけど^^;

猿飛佐助を知ったのは。東映のアニメ映画が最初だ。
(根津甚八は俳優で知った^^;

当時の東映アニメは。
現在あるような漫画雑誌のキャラクターを。
メインにしたアニメではなく。

「白蛇伝」「安寿と厨子王」「西遊記」など。
過去の有名な書物の中から。
選んで作品化されたものが主で。

おそらくDisneyを参考にして作られていたのだろうが。
それはそれは。高品質のアニメだった。

そんな中に「猿飛佐助」があり。
忍術使いになるために。
苦行・修行するといったことがメインの映画だった。
(気がする^^;

仙人みたいなお爺さん(戸沢白雲斎?)が出てきて。
佐助に忍術を教えるのだが。なんだか。
忍者と仙人を誤解しているような映画だった。
(気がする^^;

さて。そんな猿飛佐助が仕えたのが。真田幸村。
彼は。晩年。豊臣秀吉の築いた大阪城に篭り。
徳川家康軍に対し。獅子奮迅の戦いをした人物。

実名は真田信繁と言うらしいが。
幸村のほうが語感がいいので。幸村で(笑

オレが。真田幸村に関心を持ったのは。
海音寺潮五郎という小説家の。
「武将列伝」という評論集を。
読んでからだ。

その中の。真田幸村は。えらく恰好悪い。

大阪城に入城するまで。紀伊国九度山というところで。
長い蟄居生活を送っていたのだが。
(関が原の戦いで。父・昌幸とともに。
西軍に属し敗北。東軍についていた実兄である真田信之が。
徳川家康に取り成しを願い。死罪だけは免れていた)

歯が抜け。頭も薄くなり。腰の曲がった自分を。
情けなく思う手紙が紹介されており。

家康をあわやと言う所まで追い詰めた人物だとは。
とても思えないほどだ。49歳で亡くなっているが。
現代の普通の49歳を思うと。隔世の感がある。

当時は。老いるのも早かっただろうから。
それも仕方がないが。老獪な武将だった父の昌幸も。
九度山で亡くなっているし。

希望のない生活をしていれば。
尚更。老いるのも早かったのだろう。

夢。希望。感動。

作家の瀬戸内寂聴が。80歳を過ぎて。
何事にも感動がなくなってしまい。
これは困ったことになったというので。

何か新しいことを始めようとして。
ケータイ小説を書いたそうな。

それも秘密でやろうと(笑

で。初めてのことで。それを書くのは。
大変な作業だったけれど。

若い人たちからの反響がすごくて。
しかも。瀬戸内寂聴と名乗らず。
「パープル」という名前を使っていたから。

「あなたは文章が上手ですね」なんて。
有名作家の寂聴さんとしては。新鮮なコメントがもらえる^^;

それがすごく楽しかったらしい。すると。
どういうわけか。肌艶がよくなったと・・(笑

ワクワク・ドキドキ感。

何かの刺激・気持ちの張りがあれば。
人は老いても。活性化するものなのだ。

それは。徳川家康に対抗するために。
大阪城へ赴いた真田幸村も。
同様だったのではないだろうか?

最早。人知れず。死んで行く身であったのが。
大阪城という天下第一の名城で。一武将として。
戦が出来る。しかも。敵は徳川家康。

勝つにせよ負けるにせよ。
これほどの相手はいない。

幸村にとっては。体内の細胞が。
超活性化する程の出来事だったはずなのだ。まさに僥倖。

幸村は。冬の陣・夏の陣と。二度の戦いで。
思う存分働いて。結果。夏の陣において討死するが。

幸村としては。花のある舞台を与えられ。
彼の人生において。最も輝かしい時と場所を。
手にすることができたのだから。
心の底から満足して。散っていったのではないか。

負け戦だから。悔しいに違いないが。
それでも。幸村にとっては。勝ち戦にも等しかっただろう。

余談ながら。最後の最後は。
曲がった背筋も。ピンとしていたかもしれないなぁ^^;