閑話休題~Happybirthdayをあなたに
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誕生日おめでとうございます。

え~歳をとってからの誕生日は祝ってもらうのではなく。
自分から周囲に対してお返しをするものだ。
と。ある物書きが言っておりました。さもありなん!

ワタシの今があるのは皆さんのせい( ^ω^)・・・じゃなかった。
皆さんのお陰です。なにより。
幸福の光が皆さんへ届きますように願っております。

ミンナシアワセデアレ!





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閑話休題~「諸君!狂い給え!」
雲



以前から「山縣有朋」の若い頃の名前「山縣狂介」の。
「狂」に興味があった。何故。「狂」なのか。
その所以が山縣の師・吉田松陰の発した言葉からとは知らなかった。
「諸君!狂い給え!」がそれだが。
この場合。狂=クレージーではない。

狂い給え=「常識の壁を打ち破り。己が信じる所を実行しなさい!」
(大よその個人的な解釈です)

松陰門下・高杉晋作は長州が四ヶ国連合艦隊に敗れ。
賠償責任を問われた際に「謎の家老・宍戸刑馬」を名乗り。
あるいは隠遁生活に入ると「西行」を意識し。
東征(打倒・徳川幕府)の意味を示す「東行」を名乗っている。
そうした頻繁に名前を変えることで有名だが。
彼もまた「狂」の字を使用している時期がある。

常識外の事をするのは難しい。
なにより自分自身が不安になる(他人は認めてくれるだろうか?)
その為には「孤独に耐える強さ」が必要になる。

後年。暗殺される大久保利通は。
そういう意味では「狂」の似合う男だったように思う。
武士が武士を捨て新しい国作りをしようとする。
誰もそのvisionが見えない時代。
そんな中で「薩摩人」であることさえ捨て。
国作りをするには「狂」を持ってでしか成しえない。

大久保利通が鹿児島に受け入れられるのは。
1979年・西南戦争100周年において銅像が建てられてからだ。
鹿児島最大の人気者・西郷隆盛の敵役になる存在。
これは止む負えない。大久保も承知していたはずだ。

二人は幼馴染だ。西郷は結果的に(あるいは意図して)
自分が死ぬことで武士という存在を殲滅する。
西郷の死について一番悲しんだのは大久保だろう。
何故なら暗殺された大久保の肌身から「西郷からの手紙」が発見され。
「一蔵どん。ガンバレ。ガンバレ」と書いてあった。

少々話が横道に逸れた。まぁ。それが閑話休題w


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吉田松陰から大久保利通に話が飛んでしまった今回の記事。
まぁ。「狂」がどこから来たのか?「狂」とは何か?
それだけがテーマだったので大久保利通・西郷隆盛の描き方が中途半端になりました。
(書いているうちにふと「大久保利通=狂」と繋がってしまったのです^^;)

大久保を書けば西郷の名を持ち出さないわけにはいきません。
西郷は大久保との関係を指して。こういう意味の事を語っています。
「自分は日本国を壊すのが役目。大久保の仕事は日本国を建て直すことだ」
後に決裂する二人ですが。その間には「阿吽の呼吸」とも呼ぶべきものがあるかのように思えます。

これはけして同じ志を持っていたから生じたものではなく。
幼馴染という環境から育まれた「互いを信頼する心」があった故で。
二人の絆は何があっても崩れなかったのでしょう。
信頼関係という薄っぺらな言葉と違い。血肉を分けたような感覚だったろうかと考えます。


閑話休題・コンビニにて
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コンビニ・7-11へ行く。扉に「台湾地震・義捐金のお願い」と書かれた大きな紙が貼られている。私は寄付はしない。寄付の使い方が正しく行われているか疑問が多いからだ。つまり信用していないのだ。そんなワタシが寄付をしようとしたのは台湾の件だったからだ。で。店内に入ると目ぼしい箱がない。そこでスタッフに尋ねる。「ここですよ」中年女性が示したのは。いつも置いてあるつり銭用の寄付金箱。目立たないはずだ。「ちゃんと届きますかね?」「はい。もちろんです」「お知り合いがおられるんですか?」「いいえ。台湾にはお世話になったからです」「え?何か台湾がしてくれたんですか?」そこで(ぬぬぬ!となり)「東北大震災の際にたくさんの義捐金を戴いているじゃないですか!」と少々声高に言った。この時。ワタシは個人の感情ではなく。一人の日本人としての感情を表したつもりだ。そして義捐金を募っておきながら。まるで他人事のように話すスタッフに呆れたのだ。スタッフはすみません。と謝罪する。別に謝罪要求してないし。そんな事ではない。

こんな日本人を意識した発言をしたのは「イザベラ・ルーシー・バードの日本旅行記」を動画で聴いたばかりだったからかもしれない。この英国人女性は素晴らしい表現力を持っていて。リアルに絵が浮かぶよう書いており。明治初期の風景や日本人の言動・行動・作法・風習など巧みに表現している。まるで「赤毛のアン」のような感受性を持っているかのように。(ただし白人種特有の上から目線はあるのだが。あまり気にならないw)とくに礼儀作法には感心しており。子供の頃から親の教育によって成り立っているのだと紹介している。当時の刺青した男性。やたらに多かったんだ。人力車の車夫とかね。著者自身「傑作と評した刺青」は富士山が噴火している様子を描いたもので。溶岩に飲み込まれていく人々が彫られている。刺青文化は信仰と関係があるのかもしれないな。


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あの時代。日本は民主党政権・カン内閣。台湾は今の蔡英文総統ではなく。彼女と反対の立場をとる馬英九総統(台湾は中国の一部である・外省人)でした。震災後。その彼が「愛は地球を救うみたいな」感じで皆と一緒に黄色いシャツを着て。テレビ番組でセンターに立ち。義捐金を募っていたのです。彼が総統になったことで日台関係がギクシャクしていた頃の話です。まさに。まさかの光景だったのです。なので台湾の義捐金については強い印象を持っているのです。



閑話休題~心のタカラモノ
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自分にとっての生きる意味を発見し。
それを得るために努力し達成することは。
「心のタカラモノ」を授かることに繋がる。

それはどんなに叩かれようが。
けして壊れることのない心の強さとなって。
老いても尚大切な誇りとなるだろう。




閑話休題~夏便り
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ワタシは世間一般から見ればつくづく親不孝者だ。
もう彼是20年ほど墓参りをしていない。
今年も行かないだろうし。やはり来年も行かないだろう。

それには理由があって。何故なら両親ともに極楽往生。
すでに魂は救われていると確信しているからで。
然るに何故墓参りが必要なのかさっぱり理解できないのだ。

だから形だけの墓参りは必要なく。
自宅にある両親の遺影を見ているだけで良い。
両親を思い出すことで心が和む。
(親を思う・慕う心だけで十分供養になっている)

さて。墓参りと言えば。
山口市内にある「中原中也」の墓を尋ねたことがある。
それはやはり暑い夏のことだったように思う。

意外だが「中原中也」と書かれた墓はなく。
「中原家累代の墓」となっており。遺骨はその中に収められている。
行った当時の墓のまわりは草ぼうぼうの畑だった。

不思議なことに墓前にはお賽銭のつもりか?
数十枚の10円玉・5円玉・1円玉が供えてあって。
今でも妙に鮮烈な記憶として残っている。
(他意はなく。いかにも日本人らしい気持ちの現れだろう)

~中原中也・死別の翌日~

生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ
物云ひたげな瞳を床ゆかにさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

さて、今日はよいお天気です。
街の片側は翳かげり、片側は日射しをうけて、あつたかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然ばうぜんとして、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。