思い出館徒然記~グライダーが飛ぶ
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幼い頃から運動ダメ・勉強ダメダメ。
人見知り・赤面症・話下手。

おまけに小学生で。
胃潰瘍になったぐらいの神経質。
友達nothingかつ女子からは。
舐められっ放しの劣等生だった。

そんなオレは。
「図工の時間」だけは大好きだった。
その時間になると。
心が解放されるような気持ちになった。

といっても。
本人に輝くような才能が。
あるわけではなく。
自惚れ程度に過ぎなかったが。

他の事ではそんな錯覚さえ。
持たしてもらえなかったのだから。
哀しい劣等生にとって「図工の時間」は。
大いに心の救いになっていたのだ。

そういう理由があって。
始めたわけではないが(汗

思い出館では。
年配の方(65歳~)方を対象者にして。
「図工の時間」というのを設けている。

美術教材カタログから。
作りたい材料を選んでもらい。
2~3時間内で作って頂く。

きりのいいところまで出来たら。
あとはまた来週といった具合で。
好きに作ってもらっている。

技術を磨くことが目的ではなく。
立派なものを作ってもらうのが目的ではない。

手仕事・会話を通しての。
心のふれあい・心の活性化が目的だ。

それが結果として。
認知予防・介護予防となり。
生き甲斐のひとつになれば~
と考えている。

そんな「図工の時間」は現在4人。
例の凸凹兄弟も参加されている。

笑顔がトレードマークの兄上は。
小学校時代。
手製のグライダーで飛行大会に出たらしい。

「気流に乗って2時間。飛んだんですよ!」

というのが自慢w

それではということで。
ご兄弟二人で竹ヒゴと和紙の。
グライダーを作って頂いた。

昔を思い出しながら。
あ~だこ~だと制作途中。
ずいぶん楽しまれた様子だった。

そのグライダーを先日飛ばした。

当日の図工の時間の参加者は。
ご兄弟二人のみであるし。
晴天でもあるということで。
3人で近所の公園へ出掛けた。

祝・初飛行記念大会。

結論から言うと。
冴えない飛び方だった・・・orz

凧のようにグライダーを糸で引っ張り。
走りながら。
揚力が働いた瞬間を狙って。
手を離し飛ばすのだが。
その瞬間がまるでなかった。

頭が重過ぎて。
思うように揚力が働かなかったのだ。
おまけに必ず左旋回w

すーっと糸を引くように。
飛行して欲しいのに。
飛ばす度に下を向き。
コツンコツンと落ちるのだから。
これではしょうがない。

10回ぐらい飛ばして。
最高20m余り飛んだろうか?

爺さんと禿げのおっさん3人の。
ヘナチョコ・グライダーを。
飛ばす光景が余程珍しかったか。
アベックが駐車中のクルマの中で。
にこにこしながら見ていた。

帰りのクルマの中で。
兄上は満足そうに。
こう言われた。

「小学校以来60年ぶりで。
 グライダーを飛ばしましたよ。
 まさかこんな年になって飛ばせるなんてねぇ。
 思いも寄らなかったです^^」



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思い出館徒然記~午後のお茶会
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映画でおしゃべりを終えてすぐに。
凸凹兄弟の兄上をお連れして画廊喫茶へ行った。
(弟さんのほうは病院で定期検査中)

というのも先日。兄上から。
「折りたたみベッド・ハロゲンヒーターを貰ってもらえるか?」の連絡を受け。
快く引き取らせてもらった件があり。
ここはまぁ。頂いたお礼代わりということで。
外でお茶にお誘いした次第。

オーナーのTさんには。
例の「27年間の記憶喪失」の件を話していたから。
改めて兄上を紹介した。

コーヒーを注文した後に。
美味しい善哉があることを思い出し。
兄上に食べませんか?と伝えた。

「あ。いただきます!」
「コーヒーと善哉って。なんだか。アレですけど^^;」
「いや。いいですよ。甘いものが大好きなんですよ~^^」
年甲斐もなく。とでもいうように目を細め。
恥ずかしそうに言われる。

そんな話をしている最中に。

「あ~。久し振りじゃね~。元気かね?」

と横合いからオバさんの声が掛かる。
児童画教室・講師Mさんだ。
Mさんの人生を簡略化すると。
こうなる。

美大卒+画家志向+結婚+画家挫折=
児童画教室の先生+普通の主婦+アトリエでシコシコ絵を描く。
(人の人生を簡略するのもアレだが。まぁ。わかりやすくw)

会うのは1年振りだろうか?
画材店時代から。絵の事についていろいろ話して来た人でもあり。
個人的にもお世話になった人だ。
不必要になったキャンバスを大量にもらって頂いたこともある。

「煙草を吸う人がいると思ったら。
 あんたじゃったんじゃね~」
にやっと笑って。眼鏡の奥が光る。
「あ~。そうです~。すみませんね~^^;」

そこへカウンター席から。
オジさんの大きなダミ声がする。

「お~。あんた!久し振りじゃね~!
 どうしちょるん?」

色の濃いサングラス風眼鏡と。
ハンチング帽を被ったYさんだ。
カウンター席から。
近くのテーブルへ移動して来られる。

Yさんの人生を簡略すると。
こうなる(またですか?)

画家志望+看板店経営+過剰な自尊心=77歳・悠々自適に絵を描いて暮らす。

「あんたを以前。町で見かけたんよ。
 声を掛けようと思ったけど。
 さぁーっと自転車に乗って行きよった」

「年賀状ありがとうございました^^;
 こちら出さなくて。すみません^^;」

気の弱いオレは。
強面のYさんを目の前にすると。
つい腰が引ける。

Yさんのアトリエには画材店時代。
何度かお邪魔している。
お世辞にも綺麗なアトリエではなかったが。
自分ひとりで建てられたと聞いた。
ひと頃。スペインがえらく気に入って。
何度も絵を描きに行かれていた。

独立自尊の気概で生きて来られたから。
年を取っても個性的で。穏やかな性格とは真反対。
ちょっと見では・・怖いオッサンだ(汗
それに比例して絵の方も。
随分妖しげ+充分怪しいw

「去年ね。自分でギャラリーを建てたんだよ」
「敷地にですか?」
「そうそう。一番後ろの土地に・・
 しかし。新聞にも記事が載ったけど。
 だ~れも来ない!!」

オレは思わず笑ってしまったw

MさんもYさんも昔のままだ。
昔と同じ空気の中で絵を描き。
生活している様子がわかる。

その間。兄上は人の話に耳を傾けながら。
淡々と善哉を食べておられる。

この善哉は過日。Tさんに頼んで。
思い出館でも出したことがある。
水飴と砂糖が入っているから甘味にコクがある。

お誘いしたものの。
兄上と話があまり出来ずに。
申し訳なく思っていると。
Mさんからハガキを渡された。

春の美術団体展の案内。

見ると知った名前もあるが。
知らない名前が増えている。
10年も絵の世界から遠ざかっていれば。
それもまた仕方がないか。

これまで絵を描く人とは。
訳があって距離を置いてきた。
それが思い出館にいる間に。
顔を会わせることが多くなった。

そして。そういう人たちと。
話をする都度に。
いささか。哀しい錯覚だけれど。
今でも自分が創作の現場にいるような。
そんなつもりになる。

先日も画材店で若い(と言っても同世代より少し下)
Art系の連中と話をする機会があったが。
その時も同じ錯覚を持ってしまい。
妙にtensionが上がってしまった。

もちろん。オレはもう。
そんな立場にいないし。
錯覚したというだけのことだから。
たいした意味はない。

意味はないが。
泡のような寂しさがあるのも確かで。
さて描かなくなったことが。
本当に良かったかどうか。とも思う。

しかし。だからと言って~

「それでは。失礼します。
 また来てください^^」
「今日はありがとうございました。
 じゃ。またお邪魔します^^」

オレと兄上は画廊喫茶を出て。
そこで別れた。
思いも寄らない人に会い。
思いがけず長居した。

オレは足早に思い出館へ帰って行った。


思い出館徒然記~世にも奇妙な物語
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世の中には不思議な話・まさかという話があるもので。
それを実感したのが。
先だって行った思い出館の新年会でのことだった。

新年会とは言っても。まるで隠れ里のように。
訪ねる人も稀な思い出館のことであり。
お招きしたのは年配者5人と臨時supporterが1人。

かるたとり・善哉を食べるといったふうで。
新年会とは名ばかりのつつましいものだ。

始めるに当たって顔合わせが初めての方もおられ。
とりあえず各自。自己紹介をすることになった。

参加者の中に。
過去記事で登場した仲良し凸凹兄弟もおられ。
その弟さんから自己紹介が始まった。

下の名前は満。
生ま故郷が旧満州国だったので満になったとか・・・
そこから。
幼少時代・青年時代の話となりなり・・なり過ぎて。

・・・話が終わらないT-T

こりゃ。半生記・一代記だな。
どこで話を区切ってもらうかな?
と。主催者のオレとしてはやきもき。

下手な所で止めると話の腰を折るようで申し訳ないし。
どうするか?と考えていた。
そのうち弟さんの話が奇妙な展開になってくる。

42歳から69歳までの記憶がほとんどない。

というのだ?????@@;
その奇妙な話は。ご兄弟の話を合わせて足して且つ憶測すると。
結局。こういうことになる。

今から33年ほど前。広島・呉港海域付近。
42歳の弟さんは兄上と一緒に貨物船に乗っていた。

夜間。兄上と弟さんのいる部屋から。
弟さんが用を足しに出たが。
いつまで経っても部屋に戻って来ない。

おかしいと気づいた兄上が。
船中を探してみるが。
弟さんの姿はどこにも見当たらない。

さては海の中に落ちたか!?

兄上は弟さんが泳げないことを知っている。
翌日から海上保安庁によって。
周辺海域の捜索がなされた。しかし。
どこにもそれらしき人影が見つからない。

数週間が過ぎてもわからず。
結局。行方不明のまま捜索は打ち切り。
弟さんは死んだことになり戸籍から抹消。
家族は墓を建てた。

兄上は諦めきれず。ひょっとしたら。海流によって。
遠くへ流された可能性があるかもしれないと思い。
どこまで漂流していくものか小瓶で試した。

「小瓶に住所と名前を書いたメモを入れて。
 40本ぐらい流したかな・・
 見つけた人から連絡があって。
 その中には千葉まで辿り着いたものもあったんですよ」

弟さんは。どうやら海上に漂っていたところを。
誰かに救われたらしい(もしくは海辺?)
らしいというのは。もうその時には記憶がなくなっており。
自分がどこの誰か。わからなくなっていたからで。
助けた人の名もわからなければ。経過もまったくわからないためだ。

「おそらく弟は船から落ちた際に。どこかで頭・体を強く打ち。
 気絶した状態で海に落ちたんでしょう。 
 だから海水を飲まずに済んだんです。
 それでぷかぷか浮いて。流れて行ったんだろうと思います。
 下手に泳げていたら。逆に溺れていたかもしれませんね」

その後の記憶は。断片的にしか覚えておられない。

関西~岡山~広島と27年間渡り歩き。
自分が何者かわからないまま。
工事現場で働いたり板前仕事をしたり。
挙句はラーメン屋まで開いていたそうだ。

ただ仕事をする上で。
身元を証明するものが何もないから。
それが不要のところでしか働けない。
必要が生じれば逃げ出したらしい。

「弟は不器用だったのに。
 料亭に出るような料理ができるようになっていましてね。
 包丁捌きが板前さん並なっていたんですよ。
 運と人に恵まれたのでしょうねぇ」
 
必要な時に必要な人が現れ。
弟さんに関わり助けてくれたのだろう。

それまでは管理者のような立場におられたから。
人並以上の「自活能力」があったのだろうが。
必要に迫られていたとはいえ。その逞しさには脱帽する。

兄上と再会する切っ掛けになったのは心臓発作。
そのことで不安になった弟さんが。
やむなく警察署に相談したことが27年ぶりに会うことに繋がった。

警察から電話連絡を受けた兄上は。
ただただ呆然としたらしい。
とっくに死んだと思っていた弟が生きていたのだ。

「お前。足が付いているか?」

「電話で兄の声を聞いたら。ああ。兄の声だな。
 というのは。なんとなくわかりました」

それからが大変だったそうで。
戸籍上。一度死んだ人間が生き返るという。
世にも稀なケースだったため。
手続きには相当な時間がかかったらしい。
(消息不命中・奥さんが亡くなられた様子・立ち入った話は聞かず)

素人の講釈で申し訳ないが。記憶には長期記憶・短期記憶がある。
弟さんの場合。転落事故の身体的ショックが元で。
脳内の長期記憶を司る分野が損傷を受けたのだろう。
だから27年間とそれ以前の記憶が思い出し辛く曖昧なのだと思う。

再会して6年。
ご兄弟は今。27年間の空白を埋めるようにして。
あるアパートの隣同士で仲良く暮らしておられる。




思い出館徒然記~映画でおしゃべり・書と焼きもの
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帰雲飛雨・副島種臣


「思い出館」でやっている「映画でおしゃべり」に。
最近。品のいい「お婆さま」が来られる。

白髪痩身。小顔に銀縁眼鏡をかけて。
やさしい微笑。
足が弱いようで少しフラツキ気味だ。
そのためか。娘さんが付き添って来られる。

先日の市川歌右衛門主演。
「旗本退屈男・謎の蛇姫屋敷」上映の折りも。
母娘連れだって来られた。

当日は珍しく参加者が多く。
満員御礼の札を用意せねばならない客入りだった。
その数15名!(汗

まぁ~。普通の映画館なら。
潰れかねない観客数だがw
思い出館にとっては異常な多さなのだ。

というのも。当日の午前中。
あるケアハウスから参加したいとの申し込みがあり。
その方々が10人来られたためだ。
過去記事で紹介の。
「仲良し凸凹兄弟」も来られた。

15人で満員になるという事実を。
初めて知ったオレw
焦りながらもプロジェクターの位置を工夫するなどして。
なんとか15名分の客席を確保した(汗

上映の方は上出来で。
ケアハウスのお年寄りは喜んでくださった。
地元近くの観光地が映画の中に出て来た時は。
驚きの声をあげておられた。

昭和30年代制作の映画の中に出て来たのは。
「錦帯橋」と「安芸の宮島」
とくに「錦帯橋」は平成になって台風で流されたから。
そういう面では大変貴重な映画?かもしれない。

映画も終わり。
ゆっくりしてもらおうと思った矢先。
ケアハウスのスタッフから。
「あまり時間がないんです」との残念なコメント(汗

皆さん。番茶とお菓子だけを食べて。
「ありがとうね~^^」の笑顔を見せながら。
帰って行かれた。

後には。件の母娘と。
率先して後片付けを手伝ってくださった仲良し凸凹兄弟。
4人がソファに残られた。

そこで。オレは。お茶を出しながら。
以前から気になっていたことを質問した。
質問する相手は「お婆さま」だ。

「そえじまさんという名前でしたが。
もしかして副島という字を書くんですか?」

「そうですよ^^」

「ひょっとして。あの副島種臣と。
 関係があるんですか?」

「ええ。そうです。子孫なんですよ^^」

え~~!@@;

副島種臣は佐賀県出身の明治の官僚・政治家。
書に長けた人だった。
むしろ書の方が有名かもしれない。

初めて彼の書を知ったのはtelevisionだった。
さる美術館に展示してあるものを放映されたのだが。
オレはそれを見て絶句した。

天馬大空を駆けるが如く。
書がうねり勇躍している。
精神の置き所が尋常ではないのだ。

字は人を表すと言うが。書を見る限り。
彼は人材の多かった明治維新の中でも。
傑出した人物ではなかったか?

その副島種臣の子孫が目の前にいる。

彼のDNAが。
「お婆さま」の体にあるのだと思うと。
ちょっと興奮した。

「父親が種臣にそっくりだったんですよ。
 風呂嫌いで服装も無頓着でしてね。
 いつも汚い格好をしていました。
 然るべきところへ行く時にだけ。
 風呂に入って正装していましたよ」

娘さんの話によれば佐賀にいた頃。
屋敷には古いものがたくさんあって。
殿様の使うような肘掛で遊んで。
よく叱られたそうだ。

「それじゃ。お宅には。
 種臣の書がたくさんあるんでしょうね?」

オレは蔵の中に。
たくさんの書があるのを想像したが。
少し顔を曇らせて。
全然残っていないと言われる。

「子孫の間に道楽者がいてね。
 みんな売っちゃったんですよ~」

娘さんは静岡で。
茶を売っておられたそうで。
萩焼に話が及んだ。

「萩焼は底が丸くなっていて。
 茶筅を使いやすいようになってるんですよ。
 茶を点てるなら萩焼が一番ですね」

それまで黙って。
傍で聞かれていた凸凹兄弟の兄上が言われる。

「わたしは若い頃。
 先代の坂高麗左衛門に。
 粘土を納めていましたよ^^」

え~~~!!@@;

坂高麗左衛門(さか こうらいざえもん)は。
萩焼の窯元であり。陶芸家としての名跡だ(現在は空席)
毛利輝元の時代。朝鮮から連れて来られて以降。
坂氏は代々毛利藩の御用窯を務めていた。

その先代(11代)に粘土を納める傍ら。
焼きものについて。
いろいろ教わったと言われる。

「今は萩に粘土はないんです。
 だから防府からオート三輪で運んでいたんですよ。
 ある時。粘土を持って行ったら。先生がぼくに。
 キミは今この粘土が何て言っているかわかるかね?
 って。こう仰ったんです」

「なんて答えたんですか?」

「粘土から水分が出ているから。
 揉んでくれと言っているんじゃないですか?と言ったんです。
 そしたら。よし!よ~くわかっている。
 ぼくの弟子にならんか?って言われました。あはは」

「いい話ですねぇ。
 どのぐらい粘土について知っているか。
 試したんですね」

「そうなんですよ。
 弟子は断りましたけどね。ははは」

人は外見ではわからない。
「映画でおしゃべり」という企画は。
オレの考えたものだが。

映画を切り口にしながら。
各自の思い出を語ってもらうというのが主旨だ。
まさか。その話の中から。

日本の歴史的人物と。
陶芸史に残る窯元の名が出てこようとは。
夢夢思わず。
歴史の散歩をしたような気分になった。

オレは少しでも字が上手になるようにと。
副島種臣のご子孫である「お婆さま」に。
凸凹ご兄弟と共に握手をしてもらい。
「映画でおしゃべり」を終えた。





思い出館徒然記~猫事情
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思い出館に猫が2匹いる。

一匹はチャトラ。
栄養過多の運動不足で肥満体。
いつもだるそうな丸い顔。
真中に両目が寄っている。

人の好き嫌いはなく。
(警戒心なし)
見知らぬ人でも。
すぐにじゃれてくる。

飼い主に言わせると。
子猫の時に。
鼻血を流しながら歩いていたそうで。
普通の猫は逃げるのに。
何故か向うから近寄って来たとのこと。

猫インフルエンザにかかっており。
薬は飲んでいるが。
いつも右目から涙を流している。

時折。思い出館から脱走を試みるが。
すぐに捉えられる。
飼い主は。ひとりで外出させたい様子だが。
なにぶん。人好きなのか。
すぐに人様の家に上がり込んでしまい。
迷惑を掛けるので。
未だにひとりで外を歩けない。

もう一匹はクロ。

コンパスで描いたように目が丸い。
筋肉質でスタイルがいい。臆病。
野生はチャトラに比べ遥かに残っており。
ジャンプ能力は高い。

この猫は玄関を自力で開ける。
今は寒いのですぐに帰ってくるのだが。
勝手に開けた玄関から。
チャトラが飛び出してしまうので。
油断がならない。

この猫も拾われた。

子猫の時に。
カラスに突かれていたそうで。
あわや死にかけていた。
両目の上は少し脱毛している。

夜間は思い出館には。
誰もいなくなる。
従って。その間。
二匹だけで朝まで過ごすことになり。
彼らは思いのまま行動できる。

朝来てみたら。
展示物がひっくり返っているのは。
珍しくない。

今は慣れたが。
当初はこの猫のお陰で。
かなりやる気が失せた。

キチンと整理して置いていた物品が。
床に落ちたり。
グシャグシャになったりと。

それが毎日続くわけだから。
賽ノ河原にいるような。
何とも言えない徒労感を持ったものだ。

展示品のある思い出館で。
猫を飼うことは。
未だに勘弁してほしいと願っているが。
(夜だけでも猫ゲージに入れるとか)
飼い主はさらさらそのつもりはない。

物品の置いてある棚の上を。
彼らが走るを見て。
なんどタメイキをついたかわからない。

それでも。
オレはここの持ち主ではないから。
持ち主の気持ち・都合を優先させるしかない。

近頃では。
こちらも諦めてしまって。

「ここはそういうところなんだ」
と思うことにして。

如何にも。
猫のおもちゃになりそうなものは。
ほとんど片付けてしまった。

思い出館への初出勤時。
チャトラが。
ある店に逃げ込んだ。

オレが追いかけて。
お店を尋ねたら。いきなり。
店の主人に怒られた。

「前から言おうと思っていたんですが!
 猫が商品に傷を付けたら弁償してくれるんですか?!
 飼い猫ならちゃんと管理してください!」

初対面でいきなり怒られ。
目が白黒してしまった@@;???
仰ることはごもっともなので平謝り。

また他の人からは。
自分の家の玄関(ビル2階)に。
お宅のクロ猫がオシッコをするので困るとも言われた。
こちらも知りませんとも言えず謝るばかり。

オレは思い出館の顔だから。
立場上。オレが言われるのは当たり前だが。
こちらもやり切れない。

ところで。クロは。

人の肩に乗るのが趣味のようで。
突然。肩に駆け上ることがある。
半年も経ってずいぶん慣れたのだろう。
最近よくオレの肩に留まるようになった。

それを見て。
飼い主が相好を崩す。

オレとて。
愛猫家ではないにしても。
猫に親しまれて悪い気はしないから。
しばらくクロのいいようにさせている。

しかしなぁ。
何か違うんじゃないか?
こんなはずじゃないんだが?
と思う複雑な自分がいる。

そして。

いつもヤレヤレと思いながら。
肩を床に向け。
クロをゆっくり降ろすのだ。