びわ雑炊・補~プロレスごっこ
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小学5~6年生だった頃。
当時は力道山の後を受けた「全日本プロレス」が盛んで。
馬場・猪木の黄金コンビが話題だった。

子供たちの間では当然のように。
「プロレスごっこ」が流行った。もちろん「レスリング」ではない。
あくまで「プロレス」だ。

ワタシと言えば頭は足らない・運動神経はない・体力はない。
ナイナイ尽くしで「プロレスごっこ」に参加することもなかった(相手にされなかったw)
しかし「寝技は得意だ」というまことに不思議な想いがあった。

実際。こうすれば・ああなる・こうなる。と映像としてわかるのだ。

そして。ある日。「プロレスごっこ」をすることになった。
もちろん「ごっこ」なのでケンカではない(暗黙の了解)
相手は背格好こそ似ているが如何にもヤンチャそうな顔をしている。

当然ながら相手は完全に舐めてかかる。
それは当たり前だろう。目の前の敵であるワタクシ。
脳は足らんし顔・体は女性のようにか弱い。

「オレがコイツに負けるわけがない」そう思うのは当然だ。

立ち技がどうだったかは忘れた。
ただ寝技に持ち込むことに成功。「これで勝てる」という決め技を使った。
足を絡めて両手で抑え込む。しばらく続ければKO必死・楽勝。
(完全に頭に描いた通りだ)

で。その時だ。天使が通り過ぎた。

「オレ・・・このまま勝っていいのかな?」
おぅ。まいが~!「勝ってしまうとコイツの立場がない」
そう思ってしまったのだ。

そして。抑え込む力を抜いた。

当然のように体勢はひっくり返ってしまい。
相手の逆転勝ちということになった。
「ふ~。もうちょっとでヤラレルところじゃった」

彼はハァハァしながらワタシを見据えた。

ワタシと言えば負けたことに対しまったく悔しくなく。
頭に描いていたことが実際に行えたという妙な満足感を覚えるばかり。
(オレ。やれるんだけどな~!)

今でも。ふと「なぜ。やっちまわなかったのか?」と自問する。
もし仮に勝っていたら廻りの見る目も違っただろう。
そして引っ込み思案の性格も変わっていたかもしれない。

けして心が優しかったわけではない。
「勝っても虚しいんだよね」
(小学生にして悟りを得る?)それも違うか。
気持ちが弱かっただけのような気がする。
(ただの面倒くさがりw)





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びわ雑炊・補~おふくろの味・だご汁
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おふくろの味~だとか世間では言うんですが。
自分にはコレといったものがないんですよ。
母の作った料理すべてがおふくろの味なのね。

たとえそれが「チキンラーメン」だろうが「白菜漬け」だろうが。
とにかく何でもよくて。丸美屋ののりたま・桃屋の塩辛だって。
自分にはおふくろの味なわけですよ。

といいつも。母ならではの料理はありましてね。
熊本県・天草郡・鬼池村生まれの母は。
それを「だんご汁」ではなく「だご汁」と呼んでいました。

醤油味ベースで「メリケン粉のだんご」が入っていましてね。
鶏肉と牛蒡・人参などの根菜類が主に使ってありました。
多少の料理経験があれば容易に脳内で再現できる味ですね。

こちら山口県ではスーパーへ行けば。
「だんご汁」と銘打たれた「くまモン印」の商品が置いてあります。
ただし。だんごではなく麺タイプになっています。
(これは偽りではなくて麵タイプでもだんご汁と呼ぶのですw)

我が母は醬油ベースでしたが。
味噌ベースもあるんですよ。雑煮と同じですねw
あ。雑煮で思い出しました。

Mybest?雑煮がありましてね。

ベースは永谷園のお吸い物なんですけどねw
塩をふったクルマエビと輪切りした酢橘をアルミホイルでくるんで蒸し焼きにするんです。
それを焼き餅の入った吸い物に添えるんです(紅白の蒲鉾入り)

これが味はもちろん見た目も美しく忘れがたい雑煮になっております。
(クルマエビが懸賞で当たったので作ったんですよ)
おふくろの味ならぬ。オレの味ですね。アレはもう贅沢過ぎて再現できませんw

冒頭の写真はもちろんよそ様からの頂き物です。
たくさん画像があったのですけれど近いものがなくて。
かなり妥協しつつ例として掲載しております。

(だんごが平べったいのはアカンのですが。火の通りはいいでしょうw)





びわ雑炊・補~画材店主・F氏の想い出
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画材店Fに勤務することになったのは全くの偶然だった。
たまたま入り口に「店員募集」の張り紙があり。
それを見た自分が直ぐに「入っていいですか?」
と画材店主F氏に尋ね。「ああ。いいよ」との返事をもらった。
(面接もなくまったくいい加減な採用w)

それまである看板屋(社長は広告美術と言っていた)に勤めていたものの。
自分で言うのもなんだが。まったく使い物にならなかった。
絵心があるから大丈夫だと思っていたら。
文字書き(レタリング)と絵心とは余り関係がなかった。
少なくとも自分はそうだった。

それに細かい所に気が向かないから。
やることなすこと失敗だらけで。
「こりゃ間違った所に入ったな」とずっと思っていた。

そんな頃に画材店Fの店員募集の張り紙が目に入ったわけだ。

画材店の仕事は天職というか。実に楽しかった。
額縁作りも自分にあっていたし。画材販売も好きで。
このくらい自分に合っている仕事はないと思った。

そういう気持ちになれたのもF氏の存在があったからだ。
F氏は細かいことを気にしない豪放磊落な性格で。
自分のする失敗も咎めることなく。いつも暖かい目で見てくれた。

F氏は元々水産大学の出身だったが。縁があって。
画材店の婿養子となり後を継いだ人だ。
「婿養子はいいぞ。家付きカカア付きだ」なんて笑っていた。

酒が好きで画材店の全国フェアの際には。
いつも陽気に酒を飲み。
大きな声で知り合いを冷やかしつつ談笑していた。

飽きっぽい自分が長年勤めることができたのも。
F氏がいたからこそだ。そういう意味で実に感謝しているし。
自分の人生における恩人の一人であると思っている。

その後。ある理由があって退職を願い出た際。
「お。そうか」と何の理由も聞かず。また引き止めもせず。
こちらがびっくりするほど。あっさりと受け入れてくれた。

あとである人から「アレは絵描きじゃから」と言っていたという。
F氏は知っていたのだ。自分がフツウの画材店の店員ではなく。
「絵描き」がたまたま画材店の仕事をしていると。

だからF氏すれば自分が「絵描き」になるために。
退職を決意したのだと思ったに違いない。
それでいとも簡単に笑顔で了解してくれたのだ。
(もっとも当人は絵描きでないと承知していたのだがw)

F氏は仕事柄「絵描き」を数多く見てきている。
そんなF氏が「アレは絵描きじゃから」と認めてくれたのは。
勘違いであるにしても嬉しいことであった。

仕事を辞め。ずいぶん時が過ぎたある日のこと。
通院している大学病院で声をかけられた。「お。Wくんじゃないか」
にこにこ笑ったF氏がそこに立っていた。

「ガンになってなぁ。入院しちょった」と苦笑しながら。
大腸ガンで入院していたことを他人事のように話し。
抗がん剤で丸坊主になった頭をなでた。

その姿を見て。順調に回復されているんだなと思い。
こちらも「あ。自分もこうなりましたよ」と帽子をとり禿げ頭を見せた。
「帽子を被るといいですよ」なんて軽口を叩いたのも。
なるべく深刻な話にならないようにするためだった。

F氏が亡くなったと報告を受けたのが7月頃。
じっとり汗ばむ季節だった。その話を聞いた瞬間。
病院でのF氏の姿が浮かんだ。
死という現実から縁遠い人のように思っていた。
そのぐらい若々しい印象しかなかった。

葬儀が行われた日。

最後のお別れということで。棺に入ったF氏の顔を見た。
まるでミイラになったような顔。
その顔を見た時。ああ。見るんじゃなかったと悔やんだ。

自分にすればF氏はいつも若々しく。
陽気で冗談好きの顔しか頭になかったからで。
ギャップが激しすぎ。気が重くなったのだ。

息子さんが祭壇に立ちこう言われていた。

「父は仕事一途で。ガンになっても病院を抜け出して。
店に来て仕事をしていました(病院の近くに店がある)。
それで楽しいのかと聞いたら。仕事が趣味みたいなもんじゃから。
と言って笑っていました。父は死ぬまで現役でしたから。
とても幸せな人生だったと思います」





びわ雑炊・補~初恋の人
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つらつら椿・油彩F3・waravino


カテゴリー・びわ雑炊は基本的に終了している。
それでも。まだまだ思い出すことが多く(びわ雑炊は想い出話)。
それを補うつもりでびわ雑炊・補としている。

想い出はなるべく詳しく書くようにしている。
間違った記憶はあるかもしれないが。
強く印象に残ったものだけを書くようにしている。

ただ今回の初恋の相手だけは。かなり記憶に乏しいというか。
印象に残っていることが余りにも少ない。
中学生時代の頃だったにしても。もう少し覚えていたかった。

何せ初恋の人だ。今にして思えば残念でならない。

彼女の身体的特徴はと言えば。
大きな瞳とブルマからす~っと伸びた白い足。
それと八重歯とオカッパの髪。

この記憶は二階の窓から彼女を見た時のもので。
同じクラスだったにも関わらず。彼女と面と向かって口をきいたことはなく。
教室内での彼女の顔は思い出せない。

ああ。そうだ。記憶と言えば。

彼女はその後。三重県へ引っ越ししたのだが。
どういう経緯で住所を知ったか。
ラブレターらしきものを彼女へ送ったのだった。

返事は来たような。来なかったような。
なんとも曖昧な記憶しかなく。
自分の書いた文章すら定かに覚えていない。

好きだったんだぜ~・・・みたいな内容だったろうか。

何故。口をきいていなかったにも関わらず。
後になって手紙など出したのか?
おそらく二階の窓から見た彼女の姿が「余ほど鮮烈」に残っていたから?

それがいつまでも頭から離れずにいたため。
どうしても想いを知って欲しかったのかもしれない。
手紙は一度きりだった。これは確か。

文通に発展すれば。あるいは・・・
いやそれはない。元来。筆不精だ。
想いが伝わればそれで良かった。

今頃。どうしているだろう?
彼女も今やカンレキ。
孫に囲まれ幸せに暮らしていれば何よりだ。

二階から見た彼女の姿は一枚の写真のように。
心の奥深く刻まれている。
それがどんなにセピア色に変わろうとも。

好きだったことはいつまでも変わらない。




びわ雑炊・補~手塚治虫とバンパイヤ
バンパイア




小学生の頃。ボクはマンガ少年だった。

石森章太郎の「漫画家入門」という本を買い。
ペン・墨汁・定規・ケント紙などを揃え。
「将来は漫画家になりたいな」と漠然と考えていた。

そんなマンガ少年にある日。大事件が起こった。

近所に住む1歳年上のYさんというマンガ少年がいて。
彼が言うのには「あの手塚治虫」が。
近日中に市内のデパートでサイン会をするというのだ。

当時。少年サンデーに掲載されていた人気マンガ。
「バンパイヤ」の取材のための来県で。
日本でも有数の洞窟「秋芳洞」を訪れるのが目的らしく。
そのついでにサイン会をするようだった。

これは行かねばならい!

Yさんとボクは少なからず興奮した。
そしてボクらはノート片手(サインしてもらうため)に。
デパートへ駆け付けた。

「手塚治虫」は4階のフロアにいた。
「岡部冬彦」など他の著名な漫画家と並び。
長テーブルで色紙にサインをしていた。

初めて見る「手塚治虫」は大柄で。
白い開襟シャツにベレー帽を被り。
目鼻立ちが非常に立派な印象だった。
彼の描く「弱々しい漫画家の自分」とは全く違い。
とても威厳があるように思えた。

さてサインだが。結局もらえなかった。
前もって行われた抽選会で。
もらえる人はすでに決まっていたからだ。
(ボクらはそれを知らずガックリした)

そのサイン会であったエピソードをひとつ。

サインの抽選会で「岡部冬彦」に当たった女性が。
子供にねだられたものか。
「すみません。手塚先生のサインが欲しいんです。
代えてもらうことができますか?」と主催者側に尋ねていた。

その願いが叶えられたか知らないが。
手塚・岡部両氏が二人並んで苦笑する姿は。
今でも鮮明に覚えている。

ところで「バンパイヤ」はTVドラマ化されている。
TVのカラー化も進んだ頃。何故か白黒での放映だった。

主人公のトッペイ役は若き日の水谷豊。
(これが彼のTVドラマデビュー作)
そして手塚治虫も出演している。
なにせトッペイは手塚プロダクションにアシスタントとして就職する設定で。
手塚が登場するのも当然と言えば当然なのだ。

このドラマは主人公が狼になるシーンを。
「実写とアニメーションの合成」で表現しており。
当時としては斬新な手法だったと思う。
(今ではCGが当たり前だけれど)

まぁ。ずいぶん昔の話だから。
ドラマ自体はほとんど記憶に残っていないが。
当時。新人だった水谷豊が今でも。
「相棒」などで活躍しているのは感慨深いものがある。



※「バンパイヤ」=「バンパイア」
少年サンデー及びTVでは。
「バンパイヤ」のタイトルだった。