good-by・森田童子
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森田童子・2018・4・25没  6・11に訃報を知る。

むかしむかし。彼女はある日現れ。ある日消えました。

でも彼女はワタシの心の奥底に住み続けました。
そして「独り言」のように詠っておりました。その姿は泡のようでした。
時々。現れるのです。そして瞬く間に消えるのです。

森田童子はその繰り返しの中にいました。残念です。


                                合掌。




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森田童子・追悼動画
1975/NHK「若いこだま」・森田童子    
小室等の音楽夜話・森田童子
森田童子・さよなら ぼくの ともだち
森田童子・good-bye(1st)
森田童子/ライブ映像・ぼくたちの失敗・みんな夢でありました・雨のクロールetc
森田童子 (live)東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 ・音声のみ

こんな音源が残っていたとは・・・
サイモン&ガーファンクルに影響を受けていたこと。
歌詞に頻繁に出る「ボク」「キミ」の成り立ち・捉え方。
ほぼ謎だらけの人だから聴けて良かった。





       
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mariちゃん
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mariちゃんと最初に会ったのは。
京都だったか。大阪だったか。
もはや記憶が曖昧になっているのだけど。

恐るべきことに。
ワタシと彼女の細く薄い関係は40年間続いている。
え?@@;どんな怪しい関係?
のーぷれぶべむ。直接会ったのは2~3回。
あとは全部「手紙」「メール」「年賀はがき」のお付き合い。

ワタクシ「年賀はがき」は元々書いたり書かなかったり。
なので年賀はがきの枚数は減っていくばかり。
それでも彼女だけは毎年送ってくれる。
そんな不思議さを「互いに意識」したこともあり。
「おもしろいねぇ」などと書いたこともある。

会った当時。20歳の短大生。小柄な女性だった。
どこか骨っぽく痩せた印象で。
「赤毛のアン」の主人公の感性が好きだと言っていた。
(ああ。それはその時の発言だったか。それとも手紙だったか)

彼女は兵庫県・芦屋の人(現在は嫁に行ったので他府県)
あの「神戸淡路大震災」も体験しており。
「体験して以来。ちょっとの揺れでパニックになるんですよ」などと語っていた。
タンスが横にぶっ飛んでいるのを見たというから。
凄まじい体験だったろうと思う。

そんな彼女もワタシと同じだけ歳をとり。
いい感じの「妙齢の女性」になっている。
(はぁ。40年は長いねぇ)縁を大事にするという意味で。
もともとスピチュアルな部分があったのだろう。

今は動物系セラピストで動物や飼い主の心理カウンセラーをしている。

(ワタシが2000年2月3日に離職した由をメールで伝えると。
節分は物事を判断するbestなタイミングであり。
如何にもあなたらしいとの返事が来た。結果的に「運命曲線」通り^^;)

彼女は精神世界にずいぶんと通じているのだと思う。


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※運命曲線=名称通りに検索していただくと。
あるいはまだ掲載されているかもしれません。
名前・年月日を入力すると人生全体の好不調をグラフで見ることができます。

おもしろいことにワタシの場合。結果的でしょうが。
曲線通りのリズムで人生を送っています。
若い人よりある程度。お歳を召した方のほうが理解しやすいでしょう。
無料で使えますので検索できればおやりになってください。
(あくまで参考として^^)




閑話休題~不調
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日本の政治屋が不調です(ある意味順調w)
・・・いやそうではなくて。パソコンが不調です。
先ごろ。幾つもの画面を立ち上げて同時並行で見たり書き込みしていたんです。
そして。それらを閉めようとしたら。あらまぁ。不思議。
画面の立ち上がりが遅くなり。動きが怪しくなってしまったのです。

共産党China・ネット集団からの妨害でせうか?w

それは冗談として。パソコンが思う様にいかないと。
やる気が失せるんです。ここが一番のポイントです。
思う様にいかない=自由に手足が動かないは・・・
(困ったことに)面倒くさいに繋がるのです。
でも脳舞台で書きたいものがあり。それは二つ三つあります。
「脳舞台・世阿弥問わず語り」「脳舞台・大石主税の青春」etc.

そんな中で訪問してくださる方々のブログに。
なかなか訪問できないでいるのが現状で。
(画面が表示され辛い)心苦しく思っております。
パソコンは4年目。東京オリンピックまではなんとか。
持ち堪えて欲しいものです。

さて話は変わります。
舛添元都知事は公金を私金として流用したことの是非を問われ。
都知事の座を追われました。ところが。コイケ都知事はどうでしょう?
毎日500万ですか。豊洲市場の維持費の垂れ流し。
(舛添氏の比ではありません)
東京オリンピックの公約違反もそうです。

マスコミは舛添氏の件をギャーギャー煽って。
コイケ都知事の悪政はギャーギャー言わない。why?
都ファ・・・都民ファミリーランドでしたっけ?w
(素人集団49/50が選挙で通った・・・異常事態です)
都知事・都議員は別々です。2元制なんです。
でも余りに都ファが多過ぎて。
2元制そのものが機能し辛くなっているんです。
(コイケの頭脳=都ファ議員の頭脳)

つまり端的に言えば独裁です。マスコミの嫌いなはずの独裁です。
都議会で都議員が「何がAIだ!」と都知事に向かい罵声を浴びせました。
(コイケ都知事=わたしはAI発言を揶揄して)
そして彼は退場させられました。国会で野次は当たり前です。
与・野党議員が野次って退場させられますか?フツウに野次ってるじゃないですか?
(野次に関して都議会と国会が同じ対処するのでないならば了解しますが)

マスコミと反日的野党は裏で手を握っているように見えます。
今コイケ都知事を煽ったところで内閣打倒に繋がらないでしょう?メリットがないんです。
(都ファブーム・希望の党誕生も内閣打倒に繋がるからこそ煽ったわけです)
コイケ都知事もそれを知っているからこそノウノウとしていられるのです。
しかしまぁ。世間はすぐに忘れすぐに踊ろされますねぇ。
世間は情報操作でどうにでもなる=マスコミが権力化するわけです。タメイキ。

そうそう。井伊直弼が彦根藩主になった頃。
大変な善政を行っていることを知った遊学中の若き日の吉田松陰が。
「実に仁君に相応しくその徳の高さに感涙す」の書を残しています。
その彼が後日「安政の大獄」により斬首されるとは。
直弼も松陰も想いもよらなかったことでしょう。

ただ立場は違っても「日本国」あってこその想いは同じだったと思います。




M氏の回顧展へいく
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牛島憲之


先日。通院の帰りにM氏の回顧展へ寄った。
作品群は大小二つのスペースに分けて展示されており。
芸大時代~現在に至るまでが網羅されている。

M氏の作品は通院中の病院の壁に5~6あり。嫌でも目にしなければならない。
というとM氏を批判的に見ているのか?と思われるが。そうではない。
氏の作品はhumorに溢れており優しさを感じるものだ。
余りに日常過ぎて今更。氏の作品について述べる気がしないだけだ^^;

M氏は出入り口に自身のプロフィールを紹介している。
その中に高校生の担任から。
世阿弥の言葉(風姿花伝?)を教えられ感動したとあり。
絵を志す切っ掛けにもなったとしておられる。

「初心忘るべからず 時々の初心忘れるべからず 老後の初心忘るべからず」

案内のハガキにもこのことが紹介されていたし。
もともと世阿弥の「花」について考えていたから。
M氏にこの件について尋ねてみた。
(風姿花伝を読んでない輩が何言うねん^^;)

「アレ(風姿花伝)は難しいのよね。で世阿弥の言う花のことだけど。
人にはそれぞれ輝く時期があるので。それを自覚・心得ていなさい。
という意味があるみたい」
「つまりそれが初心忘るべからず~に繋がっているんですね?」
「そうそう。そういうことかもしれないわね」

ワタシの思考回路はそれで繋がり。さっと的を射た気がした。
(超個人的解釈w・早とちりとも言われるw)

M氏の芸大時代の師は「牛島憲之」だった。ワタシは独学の徒ながら牛島氏について。
かねてより「モランディ」ととも端的な手法で絵画を表現した画家という見解を持っている。
そしてまるで接触のない画家なのに自分の背中を押してもらったようにも思っている。
牛島氏がどんな人物だったか尋ねると。

「先生は個人の考え方を凄く大切にしてくれる人だったの。
なぜこの絵を描いているのかを尋ねてくださって。
私がその意図を伝えるとなるほどという顔をされた。
個人個人の表現を(一定の見方しか許さないではなく)自由自在に見てくれたのね。
そしてとても優しい先生だったの」

この話はワタシが兼ねてより想像していた「牛島憲之」氏そのものだった。
一連の代表作を見れば自ずとそれがわかる。
M氏は御年72歳。緑内障・白内障を患っておられる。

それ故の回顧展だと言われた。



M氏のこと。
氏は故人になった。 画家だった。
それも日本で有数の油彩画家だった。

祝島を描いた画家と言えば、ご存知の方は
すぐに名前をあげることができるだろう。
さて、そのM氏とわたしは面識があった。
わたしは、当時絵を描きながら画材店の店員をしていた。

わたしはいつか思うようになっていた。
このM氏から、ウソ偽りなく、
お世辞抜きで自分の作品を評価してほしいと、
大それた事を考えていた。

作品展で優秀な成績を収めるより、
自分の中ではそれが一番の評価だと思っていたからだ。
そう思うと、自分は自然とそのための準備をするらしい。
(自分でも気が付かないうちに)

わたしは、M氏の画を尊敬するものの、
そのために影響を受けたくなかった。
ともすれば氏の画風は個性的で魅力的だったから
知らないうちに、似たものを描いてしまう。

だから、なるべく素っ気無い態度を取るようにしていた。
敢えて嫌われようとしていたのだ。
そのため、M氏もこちらに嫌悪感を抱いていたようだった。

県美術展が開催されたある年の秋のこと。
自分の作品のひとつが佳作賞に選ばれた。
嬉しかったが、少し古い作品を大きなサイズにしてリメイクしたものだったので、
原作と比べて、イマイチ納得できていなかったのだが。

それをM氏が見たという。

K氏というM氏を崇拝する画廊の人だが、
そのK氏がこう言った。
「ええか、よう聞けよ。二回言わんから」

なんでコイツにこんなことを言わなきゃならんのだ、
とでもいうように苦い顔をして言葉を続けた。

「M氏と一緒に美術展に行った。
どの作品にも足を止めん人が、急にある作品の前で足を止めた。
こりゃ~、誰の作品か?と聞くんで
誰の作品かと思ったら、あんたのだった。

で、作者の名前を伝えた。そしたらM氏が、クレーに似ているが、
オレが、ええ作品だと言っていたと伝えておけ、って頼まれたんだ。
たまげたよ、フツウあんなことは言わん人だから」

言葉を聞いて、瞬間、ゾクっとした。
念願が叶ったと思った。
ほんとうになってしまった驚き。

知っている人の描いた物を見ると、
どうしても感想が甘くなってしまう。
まして、懇意としているならば当然かもしれない。

では、逆であれば?
嫌な人の描いたものを見て、
素直に評価できるだろうか?
フツウは評価しない。

わたしは、不本意ながら懇意にはしていなかった。
だから、嘘偽りにない評価をしてもらったと思い感動したのだ。
もし、親しくしておれば、オレを知っているから、
そう言ったんだと思っただろう。

そこには素直に喜べない気持ちがある。
M氏は個人的な感情抜きで、作品を評価してくれた。
立派な態度だと思ったし、なかなかできるものではない。

もう絵を描かなくなって随分となるが、
忘れられない思い出となっている。
M氏は90を過ぎて亡くなられた。


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この記事は2006年6月28日に書いたものです。
なので冒頭に載せる「写真」がなく。なんと!「、」を使っております。
当時から「、」についてどう扱えばいいのか?迷っていたました。

「1春1000冬」の初めは2009年5月としていますが。
実際は2006年6月に始めています。ただ書く目的が定まっておらず。
あやふやな気持ちの中で10回ぐらい書いた後に放り投げてしまいます。
(つまり3年間のブランクがあるのです)

改めて始めたのは自分の人生を振り返って。
峠の上から見下ろすように描いてみようと思い立ったからです。
これがブログを書く理由付けになり基本的な構成になりました。

と同時に様々なカテゴリーを設けることにより。
書く内容の幅を広げたり書き方の実験をしたりと。
我ながら楽しんで書けるようになりました。

今回と次回(2010年)の記事を掲載することにより。
当時の考え方・文章の変化を振り返ってみました。
え?たいして変わってない?@@;ま。それはそれで良し^^;