閑話休題~夏便り
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ワタシは世間一般から見ればつくづく親不孝者だ。
もう彼是20年ほど墓参りをしていない。
今年も行かないだろうし。やはり来年も行かないだろう。

それには理由があって。何故なら両親ともに極楽往生。
すでに魂は救われていると確信しているからで。
然るに何故墓参りが必要なのかさっぱり理解できないのだ。

だから形だけの墓参りは必要なく。
自宅にある両親の遺影を見ているだけで良い。
両親を思い出すことで心が和む。
(親を思う・慕う心だけで十分供養になっている)

さて。墓参りと言えば。
山口市内にある「中原中也」の墓を尋ねたことがある。
それはやはり暑い夏のことだったように思う。

意外だが「中原中也」と書かれた墓はなく。
「中原家累代の墓」となっており。遺骨はその中に収められている。
行った当時の墓のまわりは草ぼうぼうの畑だった。

不思議なことに墓前にはお賽銭のつもりか?
数十枚の10円玉・5円玉・1円玉が供えてあって。
今でも妙に鮮烈な記憶として残っている。
(他意はなく。いかにも日本人らしい気持ちの現れだろう)

~中原中也・死別の翌日~

生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ
物云ひたげな瞳を床ゆかにさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

さて、今日はよいお天気です。
街の片側は翳かげり、片側は日射しをうけて、あつたかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然ばうぜんとして、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。





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人通りの少ない路地に入ると。
小さなラーメン屋がある。
黄色いノレンには「ひまわりラーメン」
と書いてある。

玄関の左右にガラスケースがあり。
それぞれ招き猫が置いてある。
右には右手を上げた白猫(人を招く)
左には左手を上げた黒猫(金を招く)

店の主人の友人が開店初日に贈ってくれたもので。
商売繁盛の願いが込められていた。
主人は腕に相当な自信はあったが客は少ない。

「鬼介さん。あんたに愛想がないからだよ。
笑顔。笑顔だよ」
招き猫をくれた友人は笑いながら忠告した。

「へ!愛想笑いができるもんか!」

主人の鬼介は内心そう思っているが。
客がいないでは商売にならないから客が来る度に。
「いらっしゃいませ!」

自分なりに目いっぱいの笑顔を作ってみる。

ところが元来。鬼介の顔は名前の通り。
鬼瓦のようで笑っても泣いても怒ったような顔になる。
おまけに怒ったような口のきき方だ。

だから客は居心地が悪くなり。
食べるとすぐに店を出てしまう。
同じ客が来た事は一度もない。

「親父がこんな顔だったからなぁ。
 生まれつきじゃ。しょうがない」
鏡を見る度に鬼介はため息をつく。
そして最後に決まって。

「客が来ないのはコイツラの働きが悪いせいだ!」
と二匹の招き猫のせいにする。
招き猫はいつもそれを聞いているから不満でしょうがない。

ノレンが下げられると二匹は小さな声で語り合う。

右猫
「いくら人を招いても。主人の顔を見て逃げるんだもの」

左猫
「困るよね。このままじゃ。ぼくたちの立場がない」

どうしたら。お店を繁盛させることができるかと。
二匹は夜も寝ないで考えた。

ある日。

開店前の店の前にランドセルを。
背負った女の子が現れる。見たところ小学3年生。
「ねぇねぇ。ちょっとちょっと」

そう言って鬼介の腕を掴む。
突然のことに鬼介は。うむ!と唸って。
「なんだ!手を離せ!」

思わず女の子を怒鳴りつける。
その怒声に女の子は泣き出してしまう。

「あ。いや。そんなつもりじゃ・・・。
ごめんごめん。おいおい。困ったなぁ」
鬼介は謝ったが。

女の子は泣くのをやめない。

鬼介はどうしたものかと。
腕を組んで唸るばかり。若い頃から。
女は苦手で通っている。

「女は直ぐに泣くから嫌なんだよなぁ。
おいおい。どうしたら。
泣くのをやめてくれるんだ?」






ランドセル
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小さな女の子が一人で下校している。
その姿と言ったら赤いランドセルに手足が付いたような格好だ。
大人になればランドセルは身に付けないけれど。

ホントは「見えないランドセル」を背負っているのかもしれない。

中身は人それぞれで。
苦い教科書・楽しい教科書・重い教科書・軽い教科書。
自分のランドセルには何が入っているだろうか?





閑話休題・なぜ「。」だけなのか?
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この事を書くのはおそらく3回目です。
自分の文章は「、」を使用せず「。」のみで書いています。
(つまり文章についての言い訳w)

それはたぶん「、」に対する偏見で。
個人的な美意識からきているのだろうと思います。
「、」が美しいものとして感じられないのです。

だって。そりゃ~しょうがね~だろ?「、」はあって当たり前じゃん?
「、への差別じゃね?」「、に対するヘートスピーチだ!」「、の人権が~!」
そういうもんなんだよ。日本語ってのは!!

そうなんです(大賛成!w)

ただね。自分はどういうわけか。
ブログ画面を一枚の絵として捉える癖があるんです。
そういった認識で見てしまうんです。

もちろんそれをワザと崩したり。
都合上。そうなっていないものが多々ありますけれども。
基本的にそんなふうに「眺めている」んです。

そして。

「、」があることが面倒くさい。
「、」を除くことで余計な神経を使わずに済む。
まぁ~なんて都合がいいんでしょうw

こんな考えに至ったのは或るブログがヒントになっており。
詩的な文章を書くその人は「、」「。」一切なし。
それで全体的に美しい文章を成り立たせていました。

そうかそうか!そういう手があったのか!

それじゃ~「。」だけの文章があってもいいんじゃね?
ということで早速実行。書くことがずいぶん楽になりました。
表現したいものがスラスラ書けるようになりました。
(今はスラスラが怪しい段階w)

自分の文章が美しいとは思いません。ただ楽なんです。

それじゃ。ついでに「。」もやめたら?
ところがどっこい。「。」は必要なのですよ。
(ええ?@@;)

何度か実験してみたのですが「。」なしでは。
影響を受けた文章のようにはいかず納得できませんでした。
ただふわふわとして締まりがなくなってしまうんです。

これが感受性の違いというものなのでしょうね。





~宮沢賢治「雨ニモフケズ」をワタクシにあてはめる~
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雨ニモマケズ風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

「雨にも負けて風にも負けて
雪にも夏の暑さにも負ける軟弱な体を持ち
欲は限りなく在りよく怒りいつも不満だらけでブツブツ言っている」

一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

「一日三食一合(雑穀米・大麦入り)と豆腐・卵少しの野菜を食べ
些細なことに関わってああ損をしたああ得をしたと言い
ひとりかってに妄想に耽りそしてよく忘れる」

野原ノ 松ノ林ノ 陰ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ

「知り合いの大工さんから小さな家を借りて住み
東のことなど知らずましてや他人様の看病などとんでもない
西に疲れた母あれば行って飯など食わせてもらい(もうそれもできないなぁ)
南に死にそうな人あればさっそく救急車を呼び
北にケンカや訴訟があれば関わりたくないと思い近寄らず」

ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ
クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ

「日照りの時は熱中症に気を付け水分補給寒い夏は涼夏と考え有り難く
みんなに能無しと呼ばれ褒められもせず苦手にされて
そういうものにワタクシはなってしまったよ」

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

「無宗教です」